メタファーの境界

30代になった女の日記です。日常の肥溜めの上澄みみたいな感じ。

もう人生を自分の力で良く出来る自信がない

ここに書いてなかったけど、以前申告していた雇用保険に退職してから加入する手続き」が6月の終わりに無事に通って、失業保険をもらうことができている。通常は雇用保険を6ヶ月分支払ったことが確定した日から受給開始になると思うんだけど、特別処置なのか申告した5月8日を初日としてカウントし、初めて行った7月の認定日の後に2ヶ月分ぐらいをいっぺんに受給することができた。

 


今日ハローワークまで歩いて行った。片道25分だけど麦わら帽子なしでもう歩ける。今日が最後の認定日の予定だったけど、相談員の人がいつもの職業相談の後に少し声のボリュームを抑えて「コロナウイルスの影響での給付日数の延長に該当すると思うので、書類ができるまでちょっと待ってくださいね」と60日間給付日数が延長される旨を説明してくれた。私の場合失業保険は90日。ここにプラス60日で合計150日の支給になる。だいたいの額だけど、30万円ぐらいの追加になると思われる。この特例は6月に決定してたらしいんだけど知らなかった。びっくりしてその場で次の認定日の確認をしてしまった。後から書類もらえるのに…(・ω・)嬉しいのと同時に働いてくれている人たちに感謝した。

 


いまの自分はほんとに運が良過ぎる気がする。別に政府が決定したことに運がいいも悪いもないのかもしれないけど、今までの人生を鑑みたらかなり渡りに船だと思う。こんなに上手くいってたこと、これまであっただろうか。ちなみに占いだと調子がいいのは年末までらしい。だとしたらこの幸せも年内で終わる。

なんというか、自分の力が及ばない所で操作されている感じ。もう人生を自分の力で良く出来る自信がない。占いに行くようになったのは人生がうまくいかなくて自分の判断に自信が持てなくなったからだった。そもそも自分の選択で今まで生きてきたのか?自分が身につけてきたことは己の努力か?全部ある程度決まってて、何かに導かれなぞってきただけじゃないのか。

 

 

ここに前書いたかどうか忘れたけど「働きアリの法則」というものがあるらしい。よく働くアリ、だいたい働くアリ、働かないアリは割合が決まっていて、アリを取り出して新しくコミュニティをつくってもその割合は変わらずに分かれるらしい。

残酷だけどそんな感じで、人の役割もバランスが決まっているんだろうなと考えている。例えば自死する人もいれば、自死する人の周りにいる人の役割もあるんだろう。私はかつ、自分で稼げない人なんじゃないのかと感じてしまっている。存在している以上、自分で稼げないことは悪いことではないんだろうと思いたい。ただ自分の役割がそれならば、役目は何なのか。まあ、どこかのタイミングで稼げるようになりたいけどね。

 


いま私はニートなので年金も納める義務がない。払っている税金は減額された住民税・国民健康保険料と消費税ぐらいだと思う。ここ数日書いている恋人は会社員をしていて、もちろん納税している。彼らみたいに私はもうなれないだろうなという諦念と、申し訳なさと、社会の中で私みたいな人間がいるから稼げる人間も存在しているのだという謎の慢心が自分の中に渦巻いている。ただ大事なものが最近できたので「無敵の人」からは脱却できた気がする。

でも流れに身をまかせるだけでござるよ。自分の人生は自分で決めたくて必死で大学受験した10代の頃とはなんだかすっかり変わってしまったな。いつの間にか猛暑も落ち着いて、セミの合唱も小さくなってた。幸せが年内で終わるというのに時間はさらさら流れていく。