メタファーの境界

30代になった女の日記です。日常の肥溜めの上澄みみたいな感じ。

幸せの準備

プロフィールを年表っぽくしてみた。見やすくなった。悲しい歴史だな。(笑うところ) 

 

(・ω・)

 

前の記事の後、荷物を実家に預けた。その日は現彼氏がウチに来ていて、父親が荷物を取りに来てくれてる間はモスバーガーに避難してもらった。前日彼に「父親に会ってみる?」と訊いてみたら「まだ早い」と言われた。父親にも「彼に会ってみる?」と訊いてみたら「決まったらまた言って」と言われた。まあ、早いわな。

 
実家に預けたのはデカい段ボール2箱。中身は自分の染色作品と、玄関に貼っていた4枚の絵、青い水玉のビニール傘、電源のないムーミンのアロマディフューザー、遺影など。それぞれこれまでつくった作品と死んだ彼氏の遺品。

 

4枚の絵は何かの鳥の羽に絵の具を付けてA4の紙に押し付けただけであろう作品。「絵描いた!あげる!」と無邪気に渡された時は「う、うん」と若干引き気味で受け取ったけど、プレミアムになってしまって捨てられなかった。


青い水玉のビニール傘はビジネスホテルに二人で泊まった翌朝、ゲリラ豪雨に見舞われて近所のスーパーで買ったもの。相合傘がしたくて彼だけに一本買わせた私は、彼の家に着いた時にはびしょ濡れになっており、SOU・SOUのボトムを貸してもらった。彼の一番下の弟が日本に旅行に来た際にプレゼントしてくれたものだそうで、「私が着た方が似合う」と言われたっけ。


ムーミンのアロマディフューザーは彼が死んだ後、サンアントニオまで出向いたメモリアルサービスで彼の奥さんから形見分けで貰ったもの。奥さん曰く「彼が『これは誰々へ』って形見分けのメモを残していた」とのことだけど、平気で事実ではないことを言ってしまう奥さんなので真偽は定かではない。ただ図ったようにムーミン柄だった。「電源を失くしてしまって、別でまた買ってね」と受け取ったけど、使う気にならず結局電源は買わなかった。


遺影は自分で用意したものではなく、メモリアルサービスの後に彼の真ん中の弟がくれたもの。特別なものではなく、彼のFacebookフィードにあがっている写真をプリントアウトして黒い写真立てに収めたやつ。

彼が死ぬまで遺影に良いイメージはなかった。遺影があると最初に思い出す顔が遺影の顔になるから。祖父が死んだ時にそう感じていたけど、彼氏が死んでおよそ一ヶ月後に遺影がやってきた時、遺影の意味が分かった。それまで私は最初に思い出す彼の顔が死に顔になっていた。遺影はそれにフタをするためにあるのだ。

 


父親を見送って部屋に帰る。玄関の壁紙はいつの間にか日焼けしていて、4つの四角が浮き出ている。彼の描いた絵が無くなった壁と遺影のないテーブルを見ると、胸がぎゅっとしてきてボロボロ泣いた。捨てた訳でもないのに、もう一度別れが来た気分だった。いずれ壁紙の4つの四角は馴染んで見えなくなるだろうし、遺影のないテーブルに違和感もなくなるだろう。これは次の幸せの準備だ。

落ち着こうと思って、現彼氏に「終わったよ」とDiscordで連絡を入れる前に掃除機を掛けて風呂を掃除する。現彼氏が部屋に帰ってきた時には「おかえり」と平常心で言えた。我ながら図太いなと思った。今に始まったことではないけど。

 

 
図太いついでにもう一つ、前に書いたAと会う日が近づいている。彼氏ができたことを報告する為。いつものように手紙でも書こうかなと思ったけど、一方的で卑怯な気がして直接会うことにした。

 
自分でも驚くほどAに対する後悔の様なものがない。「感染症が不穏な雰囲気なので様子を見てから」、「会うのはひと月ほど待ってもらえないかな」というLINEを続けてもらい、二ヶ月近く会うのを待ったあたりから途端に鬱陶しさのようなものを覚えていた。手紙にしようか迷ったのは、直接会ったならAの事をディスってしまいそうだなと思ったからだ。Aが私の命の恩人のような人である事に変わりはない。これからもいい友人でありたいし、かつ現彼氏にもいい形で紹介出来ないかなと思っている。ちゃんと出来るだろうか。現彼氏に二人きりで会うことを事前報告しとくべきだろうか?「来週お変わりなく大丈夫ですか?」とAに連絡したら「大丈夫です、楽しみにしています」と返ってきて複雑な気分になった。