メタファーの境界

30代になった女の日記です。日常の肥溜めの上澄みみたいな感じ。

贅沢な虚しさ

2021年1月31日

転職が決まり1月から働き始めた。非正規雇用。面接まで気付かなかったけど、週30時間、一日6時間勤務だった。そして社会保険に加入しなければならない。給料が手取り月10万で、日数少ない来月は6万円だ。

 

給料日までまだ2週間以上あるけど、現金は5千円を切っている。もう諦念の気持ちでいっぱいなので薄っすら借金しながら生きていこうと思って、クレジットカードの支払いをリボ払いにしようとしてたら彼氏に止められた。そして「リボ払いよりマシでしょ」と言われてコロナ特例貸付の書類を書いた。係の人は結構早く電話をくれて、明日の朝追加書類を送る事になった。通れば借金生活だ。まあ既に奨学金があと700万ぐらい残っているけど。

 

彼氏とは付き合って半年が経った。彼は世のサラリーマン平均年収より上の収入があるサラリーマンだ。遊び代は全部出してくれる。ちゃんと努力して、実ってる人。私に「YouTuberにでもなれば?」とカメラも買ってくれた。私はこれまで通り、もう働く事に限界を感じている。そういうの、チャレンジするべきだなと思っている。

 

編集するパソコンがほしくて、今日彼の家でネットを見てたら「買えないね、もう一つバイトしたら?月5万分ぐらい」と彼が言ってきた。正論だ。そうやってたまに正しさのパンチを喰らわされる。世に適応した人の言葉だ。私が絶対言い返せない土俵。

 

私の選択肢は何があるだろう。1.今のところで借金抱えて働く 2.必死でダブルワークする 3.生活保護?今回は 1を取った訳だけど、正直どれも低所得で地獄だ。

 

虚しくなって帰ろうと思い、駅まで行った所で彼の前でわんわん泣いてしまった。

 

彼は「一旦帰ろう」と私を引き上げさせた後、「コーヒー飲みに行こう。wifiあるところ」とカフェに行き、その場でMacBook Airを注文した。20万相当。私に貸してくれるそうだ。

 

ありがとうって言ったけど悲しい。そうやって、どっちにしろ虚しさが目の前に現れる。贅沢な話だ。でもどうしようもない。今日は夕方で別れた。

 

 

Aと彼氏とミームになった死んだ彼氏

Aと会ってきた。結論から言うと、彼氏とAが会ってくれることになった。


8/22土曜日、私の家で彼氏と二人で晩ご飯を食べた。その後、一番私の気持ちが伝わりやすいかなと思い、身バレするけどこのエントリを彼氏に読んでもらった。読み終わった後に彼から「Aさんじゃなくて僕でいいの?」と確認が入った後、「彼氏が出来たって伝える必要はないんじゃない?」と言われたけど、続けてこれこれを読んでもらって「Aさんと一緒に花火やろうか」と彼氏が提案をくれた。花火はちょっと前に私がスーパーの安売りで買ってきて、やる日が延び延びになってた手持ちのやつだ。

 
8/26水曜日、Aと会って彼氏が出来たこと、彼氏と会ってほしいことを伝えた。「私にとって大事な人同士の二人が仲良くしてくれたらすごく嬉しいんだよね」と言うと、「君はそういうところがあるよな」と言われた。Aは「ちょっと話が急過ぎて…」と最初は彼氏と会う必要性のなさをちょっと説いたけど、「ご飯ぐらいなら。花火は意味が分からない…」と花火ではなく食事に一緒に行ってくれる事になった。私が感じ取れた限りでは、私が考えていたより、Aは私に対し特別な感情はないようだった。

 


以前の私は「大事な人同士が仲良くしてくれたら嬉しい」なんて考える人間ではなかった。ちがうコミュニティの人同士を自分を介して会わせるなんて、恥ずかしくてドキドキして無理だった。これは死んだ彼氏から学んだことだ。

死んだ彼氏は自分の職場に私を誘ったり(働かなかったけど)、つくっている作品の共同制作者の女性に会わせたがったり、自分が大事にしている人達と私をくっ付けようとする発言をよくしていた。しかし奥さんの話だけは徹底して私にしなかった。これはおそらく今までの人生でポリアモリーが成立しないことを経験していたからだと思っている。でも彼にとって一番仲良くしてほしかったのは奥さんと私だったと思う。二人が仲良くなれば何に気を遣うこともないし、自分の愛する人同士が好き同士なんて素晴らしい事だ。愛は多い方がいい。

 


私はいま死んだ彼氏と同じ立場に擬似的に立っている。彼は奥さんと私を隔てようとしたけど、私は現彼氏とAをくっつけてやる。まあAと恋愛関係じゃないので、そこは大きな差だけど。何となく、拡大解釈したポリアモリーのようだなと思う。そのものじゃなくてもポリアモリーと親和性の高い感覚だと思う。

 

 


お茶を飲みながらAは二人が会う約束を取り付けられて喜ぶ私の気持ちに釘を刺すように「もし僕が彼と仲良く出来なくても、それは僕の問題だから。ほら重大な宗教の問題が発生するかもしれないし?」と仰々しく心配した。自分に熱心な信仰があるわけでもないのに。こういう自分の気持ちと相手への気遣いを混ぜて、深刻にせずトボけるセンスはAの賢さと優しさだなと思う。A自身は自分を賢いと思っておらず、私にそう思われるのを撤回したいらしいけど。

 


Aが駅まで送ってくれる道中、彼氏はサウナが好きで、将来彼と一緒にサウナを経営したい夢がある話をした。「10年ぐらいしたらAの奥さんと一緒に遊びに来てよ」と言うと「そういう事は言うもんじゃないよ」とAに言われた。でも言いたい事は何でも言っといた方がいい事を私は二年半前に学んだ。本当はそうじゃないこともあるだろうけど、基本方針は何でも話す方向で生きてる。今はそうなればいいと本気で思っている。もしAの大事な人と仲良くなれる未来が来るなら素晴らしい。

 


ヨドバシから阪急に向かう橋の上から見える空は薄い青とオレンジが混ざり美しかった。日が落ちるのが早くなったなと思う。高校生の頃、その時間の空を予備校の窓から眺めていたら「ああいうキラキラした空って綺麗やんな」とAが言っていた事を思い出した。いよいよ今日はご飯会当日。うどん屋。何話そう。なんか緊張してきた。

 

 

もう人生を自分の力で良く出来る自信がない

ここに書いてなかったけど、以前申告していた雇用保険に退職してから加入する手続き」が6月の終わりに無事に通って、失業保険をもらうことができている。通常は雇用保険を6ヶ月分支払ったことが確定した日から受給開始になると思うんだけど、特別処置なのか申告した5月8日を初日としてカウントし、初めて行った7月の認定日の後に2ヶ月分ぐらいをいっぺんに受給することができた。

 


今日ハローワークまで歩いて行った。片道25分だけど麦わら帽子なしでもう歩ける。今日が最後の認定日の予定だったけど、相談員の人がいつもの職業相談の後に少し声のボリュームを抑えて「コロナウイルスの影響での給付日数の延長に該当すると思うので、書類ができるまでちょっと待ってくださいね」と60日間給付日数が延長される旨を説明してくれた。私の場合失業保険は90日。ここにプラス60日で合計150日の支給になる。だいたいの額だけど、30万円ぐらいの追加になると思われる。この特例は6月に決定してたらしいんだけど知らなかった。びっくりしてその場で次の認定日の確認をしてしまった。後から書類もらえるのに…(・ω・)嬉しいのと同時に働いてくれている人たちに感謝した。

 


いまの自分はほんとに運が良過ぎる気がする。別に政府が決定したことに運がいいも悪いもないのかもしれないけど、今までの人生を鑑みたらかなり渡りに船だと思う。こんなに上手くいってたこと、これまであっただろうか。ちなみに占いだと調子がいいのは年末までらしい。だとしたらこの幸せも年内で終わる。

なんというか、自分の力が及ばない所で操作されている感じ。もう人生を自分の力で良く出来る自信がない。占いに行くようになったのは人生がうまくいかなくて自分の判断に自信が持てなくなったからだった。そもそも自分の選択で今まで生きてきたのか?自分が身につけてきたことは己の努力か?全部ある程度決まってて、何かに導かれなぞってきただけじゃないのか。

 

 

ここに前書いたかどうか忘れたけど「働きアリの法則」というものがあるらしい。よく働くアリ、だいたい働くアリ、働かないアリは割合が決まっていて、アリを取り出して新しくコミュニティをつくってもその割合は変わらずに分かれるらしい。

残酷だけどそんな感じで、人の役割もバランスが決まっているんだろうなと考えている。例えば自死する人もいれば、自死する人の周りにいる人の役割もあるんだろう。私はかつ、自分で稼げない人なんじゃないのかと感じてしまっている。存在している以上、自分で稼げないことは悪いことではないんだろうと思いたい。ただ自分の役割がそれならば、役目は何なのか。まあ、どこかのタイミングで稼げるようになりたいけどね。

 


いま私はニートなので年金も納める義務がない。払っている税金は減額された住民税・国民健康保険料と消費税ぐらいだと思う。ここ数日書いている恋人は会社員をしていて、もちろん納税している。彼らみたいに私はもうなれないだろうなという諦念と、申し訳なさと、社会の中で私みたいな人間がいるから稼げる人間も存在しているのだという謎の慢心が自分の中に渦巻いている。ただ大事なものが最近できたので「無敵の人」からは脱却できた気がする。

でも流れに身をまかせるだけでござるよ。自分の人生は自分で決めたくて必死で大学受験した10代の頃とはなんだかすっかり変わってしまったな。いつの間にか猛暑も落ち着いて、セミの合唱も小さくなってた。幸せが年内で終わるというのに時間はさらさら流れていく。

 

 

幸せの準備

プロフィールを年表っぽくしてみた。見やすくなった。悲しい歴史だな。(笑うところ) 

 

(・ω・)

 

前の記事の後、荷物を実家に預けた。その日は現彼氏がウチに来ていて、父親が荷物を取りに来てくれてる間はモスバーガーに避難してもらった。前日彼に「父親に会ってみる?」と訊いてみたら「まだ早い」と言われた。父親にも「彼に会ってみる?」と訊いてみたら「決まったらまた言って」と言われた。まあ、早いわな。

 
実家に預けたのはデカい段ボール2箱。中身は自分の染色作品と、玄関に貼っていた4枚の絵、青い水玉のビニール傘、電源のないムーミンのアロマディフューザー、遺影など。それぞれこれまでつくった作品と死んだ彼氏の遺品。

 

4枚の絵は何かの鳥の羽に絵の具を付けてA4の紙に押し付けただけであろう作品。「絵描いた!あげる!」と無邪気に渡された時は「う、うん」と若干引き気味で受け取ったけど、プレミアムになってしまって捨てられなかった。


青い水玉のビニール傘はビジネスホテルに二人で泊まった翌朝、ゲリラ豪雨に見舞われて近所のスーパーで買ったもの。相合傘がしたくて彼だけに一本買わせた私は、彼の家に着いた時にはびしょ濡れになっており、SOU・SOUのボトムを貸してもらった。彼の一番下の弟が日本に旅行に来た際にプレゼントしてくれたものだそうで、「私が着た方が似合う」と言われたっけ。


ムーミンのアロマディフューザーは彼が死んだ後、サンアントニオまで出向いたメモリアルサービスで彼の奥さんから形見分けで貰ったもの。奥さん曰く「彼が『これは誰々へ』って形見分けのメモを残していた」とのことだけど、平気で事実ではないことを言ってしまう奥さんなので真偽は定かではない。ただ図ったようにムーミン柄だった。「電源を失くしてしまって、別でまた買ってね」と受け取ったけど、使う気にならず結局電源は買わなかった。


遺影は自分で用意したものではなく、メモリアルサービスの後に彼の真ん中の弟がくれたもの。特別なものではなく、彼のFacebookフィードにあがっている写真をプリントアウトして黒い写真立てに収めたやつ。

彼が死ぬまで遺影に良いイメージはなかった。遺影があると最初に思い出す顔が遺影の顔になるから。祖父が死んだ時にそう感じていたけど、彼氏が死んでおよそ一ヶ月後に遺影がやってきた時、遺影の意味が分かった。それまで私は最初に思い出す彼の顔が死に顔になっていた。遺影はそれにフタをするためにあるのだ。

 


父親を見送って部屋に帰る。玄関の壁紙はいつの間にか日焼けしていて、4つの四角が浮き出ている。彼の描いた絵が無くなった壁と遺影のないテーブルを見ると、胸がぎゅっとしてきてボロボロ泣いた。捨てた訳でもないのに、もう一度別れが来た気分だった。いずれ壁紙の4つの四角は馴染んで見えなくなるだろうし、遺影のないテーブルに違和感もなくなるだろう。これは次の幸せの準備だ。

落ち着こうと思って、現彼氏に「終わったよ」とDiscordで連絡を入れる前に掃除機を掛けて風呂を掃除する。現彼氏が部屋に帰ってきた時には「おかえり」と平常心で言えた。我ながら図太いなと思った。今に始まったことではないけど。

 

 
図太いついでにもう一つ、前に書いたAと会う日が近づいている。彼氏ができたことを報告する為。いつものように手紙でも書こうかなと思ったけど、一方的で卑怯な気がして直接会うことにした。

 
自分でも驚くほどAに対する後悔の様なものがない。「感染症が不穏な雰囲気なので様子を見てから」、「会うのはひと月ほど待ってもらえないかな」というLINEを続けてもらい、二ヶ月近く会うのを待ったあたりから途端に鬱陶しさのようなものを覚えていた。手紙にしようか迷ったのは、直接会ったならAの事をディスってしまいそうだなと思ったからだ。Aが私の命の恩人のような人である事に変わりはない。これからもいい友人でありたいし、かつ現彼氏にもいい形で紹介出来ないかなと思っている。ちゃんと出来るだろうか。現彼氏に二人きりで会うことを事前報告しとくべきだろうか?「来週お変わりなく大丈夫ですか?」とAに連絡したら「大丈夫です、楽しみにしています」と返ってきて複雑な気分になった。

 

音無響子をバカにしていた

2020年8月9日日曜日

音無響子をバカにしていた。「めぞん一刻」の響子さん。前の彼氏が死んだ後、マンガワンという小学館のアプリで無料公開されていて、夫を亡くした女性が出てくるという知識だけで読んだ。有名な作品なのでさくっと結末を書くと、物語の最後に未亡人の彼女は再婚する。新しい旦那さんである五代くんと新生活をはじめるにあたり、前の旦那さんである惣一郎さんの遺品を義父へ返す。五代くんは理解のある人で、惣一郎さんの墓前で「あなたはもう響子さんの心の一部、彼女の中にあなたがいて、そんな彼女を自分は好きになった、だからあなたもひっくるめて彼女をもらいます」と報告する。そして「さようなら、惣一郎さん」と響子さんは別れを告げる。

 

 

先日彼氏が出来た。前の記事に出てきたマッチングアプリで22番目に出会った人。自分でもびっくりするぐらいトントンで仲良くなっている。昨日今日と二人で熊本まで旅行に行っていて、今はその帰りの新幹線。彼が隣に座っていて、左手でこれを打っている。右手は手を繋いでいる。


昨日泊まったホテルの部屋で「アーサー・アーロンの36の質問」というのを彼とやった。36問の質問に交互に答えていき、全て終われば仲が深まるというもの。その中の質問に「もし家が火事になり一つだけ取りに帰れるなら何を取ってくるか」というものがある。私は「死んだ彼氏の遺品」と答えた。真っ先に浮かんだものがまだこれだった。


私は「死んだ彼氏がまだ好き、遺品も捨てる気はない」と言い切る地雷女だ。言わなきゃいいのかもしれないけど、付き合う前にそうやって自分の気持ちを正直に伝えることは私にとっての誠実だった。現彼氏は初対面の時、死別を経験していること、死んだ彼氏がまだ好きなことを伝えたところ「誰にでも前に付き合った人との大事な思い出はあるよ」と返してくれた。私の言葉に売り言葉に買い言葉で「そんなん似たような事誰にでもあるで」といった返しは今までもらったことはあったけど、やわらかな声でそう言われた時、同情ではなく理解を初めてもらった気がした。この人は懐が深いなと思った。


私はまだ自分の部屋に死んだ彼氏の遺品を残している。それどころか遺影をテーブルの上に出している。スマートフォンの待ち受けもラップトップの壁紙も死んだ彼氏の画像だった。後者二つは現彼氏が出来てすぐ変えられたんだけど、遺影をしまうことが中々出来ない。出かける時は遺影とムーミンのぬいぐるみに向かって「行ってきます」と「ただいま」を言うことが習慣になっていて、これが私にとっての死んだ彼氏への誠実だった(ムーミンは関係ないけど)。

現彼氏は既に何度か私の部屋に来ているので、そのタイミングだけ遺影を隠している。彼が帰ったあと、居心地悪くて遺影を引っ張り出す。この事はまだ彼に話していない。


「死んだ彼氏をずっと好き」は私にとっての罪滅ぼしの様なものなのかもしれない。故人を忘れない事に執着しているのは、彼氏を遠回しに殺しておいて罰を受けていないことに疑問があるからなのだと思っている。死んだ彼氏を想わない自分になってはいけない気がしている。

だからポリアモリーという考え方を知った時は救われた気がした。死んだ彼氏がまだ好きでも、選ぶ必要がないなら、気に病む必要はない。ただ死んだ彼氏はポリアモリーだったと思う。真性のポリアモリーを目の当たりにしていたので、私はポリアモリーにはなれないということがよく分かっている。あんな無尽蔵の愛情は私にはない。ただのモノガミーなら死んだ彼氏と現彼氏を私が持つ全ての愛情で同時に愛する事は出来ないし、「複数の人を同時に、パートナーの理解を得て愛する」という概念も持ち込めないと思う。


つまり今の私は、死んだ彼氏の遺品を残している事が現彼氏にとって誠実ではないと感じるように変化していっている。あれだけ響子さんの判断を心の中で非難していたのに。死んだ彼氏の事、ずっと好きでいたかったのにね。二つの愛情を両立する努力をするべき、遺品はその象徴、そんな風に思っていた。

そして現彼氏にも以前交際していた女性たちがいる。現彼氏は彼女たちがいたから、私が好きになった現彼氏になったのだ。だから彼女たちに感謝している。それと私が遺品を残すことは同列だと今までは思っていた。

死んだ彼氏にはサヨナラを言わなければいけないものなのか?私は生きている好きな人がほしかった。しかしいざ出来るとこの二つは見事に矛盾した。

 

 

熊本に行く前日の晩に見た夢の中で、現彼氏が彼の家族を紹介してくれた。昨日ホテルの部屋でアーサー・アーロンの質問をやり終えたあと、私は勢いでそのことを言い、「そんな夢を見てしまうくらい好きだ、結婚を前提として付き合ってほしいくらい好きだ」と彼に伝えた。

 

 

先日の7月28日は死んだ彼氏の誕生日だった。お墓がないので、弟さんが追悼アカウントにした彼氏のfacebookフィードに誕生日と命日、書き込むことが私の半年に一度の行事になっている。今年の誕生日の分も書き込んだ。思い出をどんどん失くしていることに気がついている。そして残酷だけど、ずっと悲しい気持ちでいることも出来ないことも自覚している。私が生きようとすることに私は逆らえなかった。生きるって変わらないでいられないことだ。

 


部屋にモノが増えてきたので、実家に少し荷物を預かってもらう事になった。このお盆期間中に父親が取りに来てくれる。預ける主なものは学生時代の作品。そこに死んだ彼氏の遺品を加えようかと考えている。遺影はどうしようか。答えは数日後にわかる。響子さんは義父に遺品を返す事を「けじめ」だと言った。もうすぐ新幹線が新大阪に到着する。右手が暖かい。

 

 

自死の周りと自己愛の鏡

2020年7月23日木曜日

Tinderで5月にスーパーライクをくれた人と2度会った。明日で3度目。彼氏が死んでからマッチングアプリを通じて会う人はこれで22人目。

マッチングアプリ自体は彼が死んでからすぐ再開した。最初はただ死んだ彼氏に会いたくてアプリをしていた。カードを左にスワイプし続けていたらどこかで彼のカードがもう一度出てくる気がしていた。この二年半の間で気持ちも徐々に落ち着き、そしてようやくだけど、すごくピンときている。21人分カード切ってきた甲斐があった。まあ21人の内訳は私が全員振っているなんてことは当然なく、自然消滅が9割なんだけど。


純粋に22人目のその人の事を好きになれたらいいのだけど、実は彼氏が死んでからずっと仲良くしてくれている人がいる。Aとする。Aは予備校時代からの友人で、お互いが高3の時に知り合ったのでもう10年以上の付き合いになる。大学の同期でもあるけど学部はちがったので学生時代はほとんど交流がなかった。しかし予備校の同期はみんな仲が良く、Aが幹事で大学卒業後も年一回飲み会をしていた。


2017年7月、その飲み会があって私とAが最後まで駅に残っていた。何故だったかは忘れたけど直前の会話でブラジルの話が出て、勇気をちょっと出し「実はいま父親がブラジル人で母親がアメリカ人の人と付き合っているんだ」とAにだけ話した。Aは「何それすごいな。言葉は?宗教は?」と興味深そうに訊いてきた。簡単に彼氏の事を話した後、今度はAが「実は3月に兄ちゃんが死んでさ。絶対話さないつもりでいたけど、ブラジルにびっくりして結局話してしまった」と自己開示をくれた。話しながら涙ぐんできたAに私は「大変だったね、大変だったね」と頷くことしかできなかった。Aは私を電車に乗せた後、身を隠すように自分が乗る電車のホームに去って行った。


2017年12月、彼氏が死んで誰かに状況の細やかな事を話したかった私は真っ先にAに手紙を書いた。彼氏が死んだ事、その時分かっていた状況、もう人生に諦念の感があること。2000字ぐらいの文字通り不幸の手紙を受け取ったAはすぐに返事をくれて、短く「あなたの感じている悲しみは一般化出来ません、僕はただ彼の死を悼みます」とA4の紙一枚を封筒に入れ送ってくれた。

その後私たちは当たり前の様に自分達が経験した状況を交換した。私がボロボロでロープを括る練習をしているときも向精神薬を飲んでいる時も2ヶ月に一度のペースで会い、身近な死から感じた事を話し合った。一緒にご飯を食べに行くことから、服を買いに行ったり、写真展を観に行ったり、いつからか死の話の割合も少なくなっていった。私が無職の時はAが出してくれた。私がお金を渡そうとしても頑なに受け取らなかった。


2019年8月、チームラボが下鴨神社でライトアップのイベントをしていて、二人で観に行った。帰りに近所のカフェでディナーを食べて、鴨川を散歩した。うろ覚えだけど友達の話になり、「私友達少ないからな〜」と私が自虐的に話していると、Aは私のことを「友達じゃないよ」とぽつりと言った。「何だよそれ〜!ひどいな〜!」と私が笑いながら返すとAは笑いながら「友達だよ」と言い直した。


2019年12月、彼が死んでから丸二年が過ぎた。私とAは相変わらず2ヶ月に一度ぐらいの頻度で食事をしていた。11月に個展をしたのだけど、そのお礼状に加えAには手紙を書いた。端的に言うと、「私の事どう思ってますか」という内容で、Aはいつかと同じようにすぐ返事を送ってくれた。「僕たちにはまだ時間が必要だと思う」と書かれていた。


2020年1月の終わりに会った際はAに引っ越し祝いやバレンタインのチョコやら沢山渡した。3月14日、Aはそのお礼でミナペルホネンの器をくれた。1月も3月も「時間が必要だ」の内容に触れず、そのまま別れた。

 


その後コロナウィルスの影響もあり4ヶ月以上Aには会っていない。先日ちょっとLINEをして、「また必ず連絡します」という返事はもらっている。

 


Aとはもちろん身体の関係はないしキスもしていないし手も繋いでいない。絵に描いたような友達以上恋人未満の状態を保っている。私は死んだ彼氏がまだ好きな事、その事を受け入れてくれる人と今度は恋愛がしたいことをAに話していた。マッチングアプリで何人もの人と会っていることも。つまり友達以上に進ませまいとしていたのは私だ。そのくせ「私の事どう思ってるの」という旨の手紙を書いている。バカなので後から気付いたけど「私のことは友達と思っていない」の回答だって、その時に言及していれば何かちがう答えが得られた可能性もある。

 


私たちの関係はお互いを慰めあう事から発展した。私は残された彼女で、Aは自死遺族。Aのお兄さんの彼女とAの家族の関係はまるで、私と死んだ彼氏の家族の関係と一緒のようだった。お互いが知らない側の気持ちを補完し合い、考えを深めていった。その悲しみを埋める行動はまるで鏡に映った自分の様に見え、Aに話をする事は自身を癒す事だった。「これは自己愛だ」と私は途中から感じ始めていた。


Aは頭が切れる人で、多分その事に私より先に気付いていると思う。でもそれ以上どう思っているか、Aの気持ちは分からない。ただ二年半が過ぎても友達以上にはなってない事実だけが目の前にある。その理由は私が気づいていない事にAが気付いているからかもしれない。

 


私の気持ちとしては今年の3月14日の時点で「もうAの彼女にしてくれないかな」と思っていた。自分がこれまでしてきた行動の割に、勝手だけど。Aはこれまで交際経験がないらしいのだけど、「時間が必要だ」と言われている以上、ここから先はAに進めてほしかった。そして4月以降会わなくなって何となく5月にTinderを数日再開したら、スーパーライクをもらって今に至り、冒頭の文章に戻る。

 


書いている途中で日付が回り、22人目の人とこれから会う。26歳の時に韓国で行った占い師曰く、私の結婚は30歳か32歳らしい。私はいま30歳。そして台湾の占い師曰く2020年は運気が悪いらしい。優柔不断になるそうだ。先日22人目の人とご飯を食べた時、偶然にも死んだ彼氏の職場である劇場のパンフレットが座った席の飾り棚にあり、まるで彼に覗かれているようだった。天は行く末を見ている。

 

 

アメリカ行きのマスク

2020年5月21日木曜日

ゼルダの伝説をクリアした。プレイ時間はおよそ70時間。60時間位でラスボスまで行けた。アイテムを全部揃える為にウロウロしてたけど、もういいやと思ってインターネット見て答え合わせした。大体クリアできたけど、最強の盾だけ戦闘が下手なせいでまだ手に入っていない。

家にこもってダラダラゲームしているうちにコロナの感染者数が減っていたらしく、関西2府1県の緊急事態宣言が今日で解除された。まあ解除されたところで、危険度が変わる訳ではないのだけど。

ツイッターではマスクのバブルが崩壊したって流れてる。ウチの近所の激安スーパーでもドカドカマスクが積まれ始めた。死んだ彼氏のお母さんへの返信メールをずっと放置してたので、「アメリカでマスク買えますか?送りましょうか」って訊いてみたらEMSで送ることになった。マスク200枚で7千円ちょっと。送料も入れて一万円弱かな。まだ高いけど、喜んで貰えるならいいや。前メールで送った写真や動画もDVDに焼いて同梱しよう。ついでに弟さん宛てに書いた手紙もデータで入れとこう。さすがにお母さんに言うのはどうかなと思って、彼と恋人だった事を深く話していない。向こうの70才位の人がポリアモリーについてどう思うのか想像もできないし。まぁ、でももういいよね。時効だ時効。手紙の内容は当時把握していた彼の死の状況についてがメインの内容だし。何か他にお土産も入れたいのだけど、思いつかない。うーん。定番の抹茶味のお菓子とか?

 

ニートになってから近況の手紙を5人に出したのだけど、一人ラインがきて「話したいことがあるから」と晩に電話をくれた。仕事の話だった。社会人サークルのソフトボールで知り合った友達関係からのお仕事。ロゴを作れる人を探してるそうだ。独立したばかりでかっちり正社員で雇うとかではなく、日雇いみたいな感じで働くらしい。その方が好都合だけど。詳しい話を聞くため私を紹介してもらうことになった。どうなるかなー。