メタファーの境界

30代になった女の日記です。日常の肥溜めの上澄みみたいな感じ。

自死の周りと自己愛の鏡

2020年7月23日木曜日

Tinderで5月にスーパーライクをくれた人と2度会った。明日で3度目。彼氏が死んでからマッチングアプリを通じて会う人はこれで22人目。

マッチングアプリ自体は彼が死んでからすぐ再開した。最初はただ死んだ彼氏に会いたくてアプリをしていた。カードを左にスワイプし続けていたらどこかで彼のカードがもう一度出てくる気がしていた。この二年半の間で気持ちも徐々に落ち着き、そしてようやくだけど、すごくピンときている。21人分カード切ってきた甲斐があった。まあ21人の内訳は私が全員振っているなんてことは当然なく、自然消滅が9割なんだけど。


純粋に22人目のその人の事を好きになれたらいいのだけど、実は彼氏が死んでからずっと仲良くしてくれている人がいる。Aとする。Aは予備校時代からの友人で、お互いが高3の時に知り合ったのでもう10年以上の付き合いになる。大学の同期でもあるけど学部はちがったので学生時代はほとんど交流がなかった。しかし予備校の同期はみんな仲が良く、Aが幹事で大学卒業後も年一回飲み会をしていた。


2017年7月、その飲み会があって私とAが最後まで駅に残っていた。何故だったかは忘れたけど直前の会話でブラジルの話が出て、勇気をちょっと出し「実はいま父親がブラジル人で母親がアメリカ人の人と付き合っているんだ」とAにだけ話した。Aは「何それすごいな。言葉は?宗教は?」と興味深そうに訊いてきた。簡単に彼氏の事を話した後、今度はAが「実は3月に兄ちゃんが死んでさ。絶対話さないつもりでいたけど、ブラジルにびっくりして結局話してしまった」と自己開示をくれた。話しながら涙ぐんできたAに私は「大変だったね、大変だったね」と頷くことしかできなかった。Aは私を電車に乗せた後、身を隠すように自分が乗る電車のホームに去って行った。


2017年12月、彼氏が死んで誰かに状況の細やかな事を話したかった私は真っ先にAに手紙を書いた。彼氏が死んだ事、その時分かっていた状況、もう人生に諦念の感があること。2000字ぐらいの文字通り不幸の手紙を受け取ったAはすぐに返事をくれて、短く「あなたの感じている悲しみは一般化出来ません、僕はただ彼の死を悼みます」とA4の紙一枚を封筒に入れ送ってくれた。

その後私たちは当たり前の様に自分達が経験した状況を交換した。私がボロボロでロープを括る練習をしているときも向精神薬を飲んでいる時も2ヶ月に一度のペースで会い、身近な死から感じた事を話し合った。一緒にご飯を食べに行くことから、服を買いに行ったり、写真展を観に行ったり、いつからか死の話の割合も少なくなっていった。私が無職の時はAが出してくれた。私がお金を渡そうとしても頑なに受け取らなかった。


2019年8月、チームラボが下鴨神社でライトアップのイベントをしていて、二人で観に行った。帰りに近所のカフェでディナーを食べて、鴨川を散歩した。うろ覚えだけど友達の話になり、「私友達少ないからな〜」と私が自虐的に話していると、Aは私のことを「友達じゃないよ」とぽつりと言った。「何だよそれ〜!ひどいな〜!」と私が笑いながら返すとAは笑いながら「友達だよ」と言い直した。


2019年12月、彼が死んでから丸二年が過ぎた。私とAは相変わらず2ヶ月に一度ぐらいの頻度で食事をしていた。11月に個展をしたのだけど、そのお礼状に加えAには手紙を書いた。端的に言うと、「私の事どう思ってますか」という内容で、Aはいつかと同じようにすぐ返事を送ってくれた。「僕たちにはまだ時間が必要だと思う」と書かれていた。


2020年1月の終わりに会った際はAに引っ越し祝いやバレンタインのチョコやら沢山渡した。3月14日、Aはそのお礼でミナペルホネンの器をくれた。1月も3月も「時間が必要だ」の内容に触れず、そのまま別れた。

 


その後コロナウィルスの影響もあり4ヶ月以上Aには会っていない。先日ちょっとLINEをして、「また必ず連絡します」という返事はもらっている。

 


Aとはもちろん身体の関係はないしキスもしていないし手も繋いでいない。絵に描いたような友達以上恋人未満の状態を保っている。私は死んだ彼氏がまだ好きな事、その事を受け入れてくれる人と今度は恋愛がしたいことをAに話していた。マッチングアプリで何人もの人と会っていることも。つまり友達以上に進ませまいとしていたのは私だ。そのくせ「私の事どう思ってるの」という旨の手紙を書いている。バカなので後から気付いたけど「私のことは友達と思っていない」の回答だって、その時に言及していれば何かちがう答えが得られた可能性もある。

 


私たちの関係はお互いを慰めあう事から発展した。私は残された彼女で、Aは自死遺族。Aのお兄さんの彼女とAの家族の関係はまるで、私と死んだ彼氏の家族の関係と一緒のようだった。お互いが知らない側の気持ちを補完し合い、考えを深めていった。その悲しみを埋める行動はまるで鏡に映った自分の様に見え、Aに話をする事は自身を癒す事だった。「これは自己愛だ」と私は途中から感じ始めていた。


Aは頭が切れる人で、多分その事に私より先に気付いていると思う。でもそれ以上どう思っているか、Aの気持ちは分からない。ただ二年半が過ぎても友達以上にはなってない事実だけが目の前にある。その理由は私が気づいていない事にAが気付いているからかもしれない。

 


私の気持ちとしては今年の3月14日の時点で「もうAの彼女にしてくれないかな」と思っていた。自分がこれまでしてきた行動の割に、勝手だけど。Aはこれまで交際経験がないらしいのだけど、「時間が必要だ」と言われている以上、ここから先はAに進めてほしかった。そして4月以降会わなくなって何となく5月にTinderを数日再開したら、スーパーライクをもらって今に至り、冒頭の文章に戻る。

 


書いている途中で日付が回り、22人目の人とこれから会う。26歳の時に韓国で行った占い師曰く、私の結婚は30歳か32歳らしい。私はいま30歳。そして台湾の占い師曰く2020年は運気が悪いらしい。優柔不断になるそうだ。先日22人目の人とご飯を食べた時、偶然にも死んだ彼氏の職場である劇場のパンフレットが座った席の飾り棚にあり、まるで彼に覗かれているようだった。天は行く末を見ている。