メタファーの境界

30代になった女の日記です。日常の肥溜めの上澄みみたいな感じ。

音無響子をバカにしていた

2020年8月9日日曜日

音無響子をバカにしていた。「めぞん一刻」の響子さん。前の彼氏が死んだ後、マンガワンという小学館のアプリで無料公開されていて、夫を亡くした女性が出てくるという知識だけで読んだ。有名な作品なのでさくっと結末を書くと、物語の最後に未亡人の彼女は再婚する。新しい旦那さんである五代くんと新生活をはじめるにあたり、前の旦那さんである惣一郎さんの遺品を義父へ返す。五代くんは理解のある人で、惣一郎さんの墓前で「あなたはもう響子さんの心の一部、彼女の中にあなたがいて、そんな彼女を自分は好きになった、だからあなたもひっくるめて彼女をもらいます」と報告する。そして「さようなら、惣一郎さん」と響子さんは別れを告げる。

 

 

先日彼氏が出来た。前の記事に出てきたマッチングアプリで22番目に出会った人。自分でもびっくりするぐらいトントンで仲良くなっている。昨日今日と二人で熊本まで旅行に行っていて、今はその帰りの新幹線。彼が隣に座っていて、左手でこれを打っている。右手は手を繋いでいる。


昨日泊まったホテルの部屋で「アーサー・アーロンの36の質問」というのを彼とやった。36問の質問に交互に答えていき、全て終われば仲が深まるというもの。その中の質問に「もし家が火事になり一つだけ取りに帰れるなら何を取ってくるか」というものがある。私は「死んだ彼氏の遺品」と答えた。真っ先に浮かんだものがまだこれだった。


私は「死んだ彼氏がまだ好き、遺品も捨てる気はない」と言い切る地雷女だ。言わなきゃいいのかもしれないけど、付き合う前にそうやって自分の気持ちを正直に伝えることは私にとっての誠実だった。現彼氏は初対面の時、死別を経験していること、死んだ彼氏がまだ好きなことを伝えたところ「誰にでも前に付き合った人との大事な思い出はあるよ」と返してくれた。私の言葉に売り言葉に買い言葉で「そんなん似たような事誰にでもあるで」といった返しは今までもらったことはあったけど、やわらかな声でそう言われた時、同情ではなく理解を初めてもらった気がした。この人は懐が深いなと思った。


私はまだ自分の部屋に死んだ彼氏の遺品を残している。それどころか遺影をテーブルの上に出している。スマートフォンの待ち受けもラップトップの壁紙も死んだ彼氏の画像だった。後者二つは現彼氏が出来てすぐ変えられたんだけど、遺影をしまうことが中々出来ない。出かける時は遺影とムーミンのぬいぐるみに向かって「行ってきます」と「ただいま」を言うことが習慣になっていて、これが私にとっての死んだ彼氏への誠実だった(ムーミンは関係ないけど)。

現彼氏は既に何度か私の部屋に来ているので、そのタイミングだけ遺影を隠している。彼が帰ったあと、居心地悪くて遺影を引っ張り出す。この事はまだ彼に話していない。


「死んだ彼氏をずっと好き」は私にとっての罪滅ぼしの様なものなのかもしれない。故人を忘れない事に執着しているのは、彼氏を遠回しに殺しておいて罰を受けていないことに疑問があるからなのだと思っている。死んだ彼氏を想わない自分になってはいけない気がしている。

だからポリアモリーという考え方を知った時は救われた気がした。死んだ彼氏がまだ好きでも、選ぶ必要がないなら、気に病む必要はない。ただ死んだ彼氏はポリアモリーだったと思う。真性のポリアモリーを目の当たりにしていたので、私はポリアモリーにはなれないということがよく分かっている。あんな無尽蔵の愛情は私にはない。ただのモノガミーなら死んだ彼氏と現彼氏を私が持つ全ての愛情で同時に愛する事は出来ないし、「複数の人を同時に、パートナーの理解を得て愛する」という概念も持ち込めないと思う。


つまり今の私は、死んだ彼氏の遺品を残している事が現彼氏にとって誠実ではないと感じるように変化していっている。あれだけ響子さんの判断を心の中で非難していたのに。死んだ彼氏の事、ずっと好きでいたかったのにね。二つの愛情を両立する努力をするべき、遺品はその象徴、そんな風に思っていた。

そして現彼氏にも以前交際していた女性たちがいる。現彼氏は彼女たちがいたから、私が好きになった現彼氏になったのだ。だから彼女たちに感謝している。それと私が遺品を残すことは同列だと今までは思っていた。

死んだ彼氏にはサヨナラを言わなければいけないものなのか?私は生きている好きな人がほしかった。しかしいざ出来るとこの二つは見事に矛盾した。

 

 

熊本に行く前日の晩に見た夢の中で、現彼氏が彼の家族を紹介してくれた。昨日ホテルの部屋でアーサー・アーロンの質問をやり終えたあと、私は勢いでそのことを言い、「そんな夢を見てしまうくらい好きだ、結婚を前提として付き合ってほしいくらい好きだ」と彼に伝えた。

 

 

先日の7月28日は死んだ彼氏の誕生日だった。お墓がないので、弟さんが追悼アカウントにした彼氏のfacebookフィードに誕生日と命日、書き込むことが私の半年に一度の行事になっている。今年の誕生日の分も書き込んだ。思い出をどんどん失くしていることに気がついている。そして残酷だけど、ずっと悲しい気持ちでいることも出来ないことも自覚している。私が生きようとすることに私は逆らえなかった。生きるって変わらないでいられないことだ。

 


部屋にモノが増えてきたので、実家に少し荷物を預かってもらう事になった。このお盆期間中に父親が取りに来てくれる。預ける主なものは学生時代の作品。そこに死んだ彼氏の遺品を加えようかと考えている。遺影はどうしようか。答えは数日後にわかる。響子さんは義父に遺品を返す事を「けじめ」だと言った。もうすぐ新幹線が新大阪に到着する。右手が暖かい。