メタファーの境界

30代になった女の日記です。日常の肥溜めの上澄みみたいな感じ。

「御注文は?」「彼氏ください」

昨日カフェで店員さんに言ったら動揺されちゃった!てけっ!

 

(´・ω・`)

 

 

今日姉に学生の頃に借りたお金を返しました。8万。利子ってことで10万。2年ぐらい放ったらかしだったしね。こないだ姉の誕生日だったのでライオンキングのチケットもおごりで。

 

借金してでも当時買いたかったのはAdobe Creative Suite 5.5。これで大体5万。あとの何万かは何で借りたんだっけな。まああの時はとにかくお金がなかった。パソコン買うにも卒制つくるのにも教科書買うのも資格の登録するのも、破れたり汚れたままの服着てやり繰りしてた。まあこれは美大だからできたのか。

 

 

とにかくまとまったお金がいま、要る、となったときに親に言って言われることは、「でも出せないよ」だった。定期も3回生の途中までは自分で出せてたけど、自由制作になってお金が掛かるようになって定期代もらい始めたときから1ヶ月定期になった。3ヶ月分の定期代は親には払えなかった。

 

アプリケーション買うときも同様で、安く買う期限が迫ってたから家に電話掛けたら上記のとこを言われた。Macも買いたいって話もしたら、「家にパソコンあるやん」って。死にかけのWindowsPhotoshopが動くわけないだろう。

 

 

で、そんなときに助けてくれたのが姉だった。パソコンは分割が出来たから自分でローン組んだけど、アプリケーションは一括限定だった。姉が5万貸してくれてMacイラレフォトショが3回生で揃ったから、スキルをその時からつけることが出来て、いま制作会社でアルバイトができている。

 

 

 

で、昨日親について姉と話した。

一昨日辺りからなにかあったのは様子みてて分かった。

 

私は学生終わっても就職せずにプラプラしてるけど、仕事ちゃんとしてる姉に親はお金をだいぶ借りてた。

なんとなくしか知らなかったけど、そこそこの額だった。

 

でも大事なのは額じゃなくて、利子もなく催促もされない街金の感覚で親が姉にお金借りてることなんだよな。しかもどうしてお金がいるのか、いつ返すのか、返す意思はあるのか、返せないなら謝罪は。その一切がない。彼らが言う「話合おう」は結局「今はお金がないから返せない、貸して欲しい」で、それは理由でもない。

 

で、理由を説明しないなら返せというと「家族が離散したら返せる、出て行け!」と何故か親が逆ギレした、と。

 

(養うのが自分だけだったら返せると思ってるのかな???へえ…)

 

(´・ω・`)

 

生活が変わりそうな、よかん。

 

 

 

(´・ω・`)

 

 

 

姉が言うに、「あの人達にとって結婚して子育てして、という人生は義務だった。」と。

つまり、そうしなくてはならないからそうしているだけである、と。

 

的確だなあと思う。

 

他の家がどうなのかは知らないけど、昔から我が家の、親の子に対する態度は冷めてんな、ってのは感じる。

 

あんま褒めたりもしないしね。

自分でバイトしながら高校と塾行って大学受験して、とかね。世間にもそんな子はいっぱいいるだろけど、そういうこともした私に対する評価はあまり感じられない。

 

そうだ、「世の中にはそんな人たちいっぱいや」があの人の口癖だ。

相対的にみて、貴方のやってることは何てことないですってことをよく言われる。頑張ったことは事実だし、この場合第一志望に受かって成果もあげている。しかも苦労の原因は親の資金不足にある。でも、評価されない(もちろん謝罪もない)。「相対的に〜」とかむつかしいことを抜きにして、普通に頑張ったね、って味方してくれるのが親の立場だと思うんだけど、ちがうのかなあ。

 

なんていうかワークの一つなんだろうけどね。

自分の子供も制作物の内というか。

作品(私)を自分(親)は手塩に掛けて作っていくことももう出来ないし、抜きん出た作品をつくれないなら苦痛な仕事だって感じかな。

手塩に掛けられないのは、そこそこ潤沢にあったお金がもうないから。

 

 

生きるのが苦痛な義務になってるあの人たちは生活を向上しようという意思がない。

 

 

なんでそうなるんだろう。

別にさ、顔が良くて体毛薄くて金持ちの息子!とかって条件で結婚相談所で探して出会って結婚するのはいいんだよ。出会いはきっかけに過ぎないからね。

 

でもそれも義務なんだよね。条件が良い人とくっつかなきゃいけないという。

 

そんなに(恐らく世間的な価値観が自分にとっても当てはまって)「こうあるべきだ」ってものに則って生きなきゃいけなかったのかなあ…。

 

 

その「こうあるべきだ」ってものをなぞってきたのに、アルバイトほどの収入の夫、その妻、になってしまってつくづく幸せな人生じゃないな、と思う。お金と幸福度が完全に比例するわけじゃないし、多く持ってても幸せじゃない人もいるだろけど、少ないと不幸になる確率は上がる。あの夫婦はそうだなあと思う。

 

 

まあでも宗教活動が忙しいから土日バイトするとかは考えられない、とか、何言ってんのって感じだったけどね。

 

お金ないことで自分が満たされてないのがわかってるのに、追い打ちをかけてどうするんだ、という。まあその追い打ちが「幸せ」であると洗脳されているから低所得者で大変って状況を抜け出せないんだけどね。だって、素敵な生になるように素敵ではない状況から祈ってることが「幸せ」なんだもの。

 

 

 

(´・ω・`)

 

 

もう自立しなきゃねー。

私の親は自立しないまま生きてる。

とりあえず私は親からの自立、親は子からの自立(するかわからんけどこちらは距離をとる)。

で、私自身は「こうあるべきだ」ってものは特に持ち合わせてないけど、自分はどう生きていったらよいのか、深めていきたい。

 

ほんと世の中には頑張ってる大人が多いよね。だって大学行くまで知らなかったんだよ。ただこなすだけの人生じゃないものがあること。日々考え自分にとって面白く生きようとしてる人たちが居ること。目から鱗だった。学校に通う、何処かで働く、とかがただのルーティンじゃないって初めて気付いた。

 

 

 

とりあえず押入れのシルバニアファミリーをオークションにかける準備しよう。家電はヨドバシで買って新しい部屋に運んでもらったらいいし、宅配便だけで自分の荷物は運べる量まで捨てよう。

おっしゃー