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メタファーの境界

20代女の日記です。日常の肥溜めの上澄みみたいな感じ。

マグリット展

昨日行って来ました。大学時代の友達と一緒に。

隣でやってたルーブルをみずにこっちだけ…(・ω・)

マグリットの作品って確か小学生の頃から美術の教科書に出てきてて、魅力的だなーってのはずっと思ってたのだけど、生で初めてみて来ました。今まで特別勉強したことは、ないかも…(・ω・)残念なことにシュルレアリズムの概念も説明できないままみました。

 

とんちんかんな解釈をしているかもしれないけれど…(・ω・)


作者のコメントがついてる絵もあって、みてて気になったのは、①「外を描いていてもそれは中からのイメージの外である」とか、②「事物と事物の表象は全く異なる」とか、③「三人の男性は同じ月をみながら違う月をみている」とか、その辺。これってつまり、描いているものは自分のフィルターを通してみた風景であって、突飛な画面でも、作者の中ではそう見えているのだから、ある意味限りなく(自分にとっての)真実ってことなのかなーと思った。で、自分以外の人間もそれぞれ事物を事物のままみていないし、それは自分と同じ感覚ではなく、三者三様の捉え方をしている、と。。。

展示を進みながら、①とか②とかがわかってきたときは「社会性のなさそうな人だなー」って思いながらみてたけど、ちがうね。③があるから人の価値観がそれぞれなことも言っているのだな。「自分にはこうみえてる世界」ってすごく主観の表現なのに、それを意識してるってことが意外だった。「ゴルコンダ」って作品も「絵ではなく鑑賞者に感情がある」的な事が書いてあって、上に書いた三者三様の世界観を意識して表現をしているのが印象的だった。

白紙委任状」って作品も「見えているものを描く事で見えていないものを描く」的なことが書いてあったのだけど、単に馬と女性の切れている部分が補完されるってことじゃなくて(それもあるけど)、絵のバッググラウンドが鑑賞者によって補完されるって意味を含むのかもしれない。「ゴルコンダ」ってのはまさにそうかなーと。ゴルコンダってのは豊かな都市の名前らしい(よね?)。もしこれが「東京」でスーツの男性が浮いてる絵だったらって考えたら、私はどう解釈するかな。私の解釈は隣にいた友達のものとはちがうのよね。同じものをみてても。


・・・とここまで書いてちょっと調べてみたらシュルレアリズムって超現実主義っていうらしい。そうだ。そうだわ。概念的に理解出来てなくて言葉が飛んでた。調べてもよくわかんないのだけど(苦笑)、無意識のときにみえている世界が「超現実」でその光景を捉えているらしい。そうかー。なるほどわからんけど、「自分にはこうみえてる世界」というより「無意識下ではこうみえてる世界」って感じなのか。


表現が自身の主張を表すものでなくてもよいのではないかって視点に興味があるから、鑑賞者によって補完されることが許されているのではないかって思ったときはわくわくしたけど、どうなんだろうな。ちがうっぽいな。笑

 

 

 

(・ω・)

 

 


友達と話してて、大学出た後も周りの人達がなんやかんやでものつくってるのがわかったのが嬉しかった。知ってたけど、もっと実感が沸いた。教授から声が掛かってグループ展するらしい。画塾の先生とかが大学でたらみんなものつくらなくなるって嘆いてたのを高校時代にきいてたから、もっと酷いと思ってたけど、予想より遥かによい。まだ卒業して3年目だからだろうか。私もなんだかんだでつくってるしな。。

 

そういやこないだ手づくりイベントの申し込みをしました。進展があったら書きます。
インテのデカイやつ。ポストカード以外になにか持って行きたい。簡単なスカートとかつくれないかなと思案中。昇華プリントでさ。しかしビジュアルを落とし込むってやっぱむづかしい。

実はもう、何かに落とし込むのはきっと野暮なことなのかもしれないって薄々感づいてる。クラフト・工芸・アクセサリーはとっつきやすいけど、私が一番納得する方法ではなく、手段の一つだろうなと思う。でも作家を志せるアイデンティティを築けていないから、いまはこの状態でいる。どうなっていったらよいのだろうね。。。