メタファーの境界

30代になった女の日記です。日常の肥溜めの上澄みみたいな感じ。

彼氏が死んだ

去年の12月に彼氏が亡くなりました。
ちなみに前書いたTinderの記事で出てきてた方ではなく、
一つ前の記事に出てきた「こないだ一緒にご飯食べた人」です。
亡くなったのは2週間くらい前の話なのだけど、自分の中で感情がぐるぐる変わっていくので、変化の記録をちょっとつけておこうと思います。


第一報は警察からの電話。どうも携帯は押収されて調べられるみたいで、最後の発信履歴が私の番号で電話をかけてきたらしい。「彼が自宅で亡くなった」という内容を伝えられ、私の住所や生年月日、彼との関係、勤め先などを訊かれました。


13時に警察で面会ができて。
その日の17時から彼と会う約束を前々日に電話でしていて、
引く話だけど、実感がなくて彼の顔を見れたことが嬉しかった。
でも事実が公然と目の前にあって、否定のしようがなかった。
警察の人の前だと面識のない人のせいかわんわん泣けた。


その日から3日間ぐらいは仕事中も泣けて仕方がなかった。
いま上司が妊娠初期で一人で店を回す日が多くて、お客さんもそんなに入ってこないし、有難かった。


面会の翌日の仕事中、一瞬彼の匂いがした気がして、その後もクレジットの暗証番号打つ機器が動かなくなったり、トイレのドアが内側からなぜか閉まったりして、「これは彼が来ているのでは」と思ってひたすら彼に話しかけながら仕事した。伝えたいことがたくさんあったし、伝わっている気がした。会話できているような楽しさと、もう会話できない悲しさが同居していた。彼と話していない時は「防げたんじゃないのか」って後悔と反省と、自分のレベルの低さに辟易した。


そして葬儀まで数日あったので、ありったけの想いを手紙に書いて棺に入れられた。


ここ数日、悲しみが収まってきた後の変化は、死ぬのが怖くなくなったこと。
「死んだら彼に会える」みたいな楽しみができた。


私は死んでないけど、大きな区切りがこないだ終わって、これからの人生は長めのボーナストラックのような、そんな感じ。ちょっと前まで「これからどうやって生きていったらいいんだ…」みたいな悩みがあったはずなんだけど、「生きていなければ」みたいな執着が薄れてなんだか楽観的になった。やりたいことをやって終わっていったらいいんだ、という気持ちになっていってる。


私は今27歳なので、大体あと60年ぐらい人生があるとする。
60年って1年が60回。最近どんどん自分の中で1年が短くなってるし、これからどんどん短くなると思う。つまり、1年×60回ってそんな長くないんじゃん?(・ω・)みたいな気持ちになってきている。母方の祖母は58歳で亡くなったし、そしたらあと約30回だ。


私の周りの人たちも親しい人間が死んだ経験がある人は多いと思いので、みんなボーナストラックを生きているのか、と思うと世の中はそんなに重たくないような気がして楽になる。


でもこんなに「死の受容」みたいなものが進んでいるような感じなのに、寝て起きた直後なんかにふと、彼の今後がもう見られないこと、これから自分がやることに彼の存在がないこと、今生ではもう彼に会えないことに絶望感を覚える。会いたい気持ちが溜まってきて、普段牛乳石鹸で済ませるのに、彼が使ってたLUSHのソープとか買ってみたりしてる。最後に会った12月のある日にほむらちゃんみたいに戻りたくなる。


もう彼のような人には会えないんだろうな、と思う気持ちも強くある。
私が彼のことを好きな気持ちより、彼が私のことを好きな気持ちの方が上だった。日本語が話せる外国人でアートとか表現の会話が面白い人で、そういう会話の度、文化水準で勝てないことを思い知らされて、誰も指摘しない豊かなことを教えてくれた。ストイックで作品のために断食したり、優しくて私のこと何も悪く言わない、そんな人だった。


次に付き合う人はこのハードルを越えないと面白くないんだろうな、と漠然と思う。
バーを上げ過ぎてしまった。これがボーナストラックなのか…(・ω・)走れるんだろうか。
上に書いたように走らなくても歩けばいいんだけどさ。

 

そんな矛盾した感想を抱いた今回の件でした。
ちなみにTinderで知り合いました。Tinderさまさまです。笑
ラストはこんなだったけど、去年はほんとうに豊かな一年だった。初めての彼氏だった。
今年は最後の最後まで素晴らしい一年にしたい。