メタファーの境界

20代女の日記です。日常の肥溜めの上澄みみたいな感じ。

アートの概念

ツイッターに収まりそうにないからこっちに書く。

 

何となく90年代jpopの歌詞の考察サイト見てる。

ふと思ったのだけど、音楽でも絵画でも作者の生い立ちやその背景から作品の意図を汲み取るのはとても自然で一般的なことだと思うけど、もしかしたら野暮なことなのかもしれない。作者の思案した通りの作品理解のためには不可欠かも知れないけど、手品のタネを解いていくような行為なのかもしれないとちょっと思う。なんというか、役者の役の心の表現ではなくて、俳優の心を解くような感じがする。

もしかしたらこれはアートと哲学の境い目の一つなのかもしれない。いままでは哲学に表現が加わればアートになると思っていたけど、それだけじゃなくて、表現をそのまま素直に受け取り手の感じるままに感動できるのはアートの特性なのかもしれない。もっとも、作者の意図を追い求めるというのは哲学というより、仏教とか、宗教なのかもしれないけど…(・ω・)

優れた作品は、どのひとにおいても汎用性がある普遍的な意味を持つ作品である側面があると思う。
誰でもどこかの部分に自己を投影できる要素があるというか…。それはその楽しみ方でいいんだろうなと思う。


書きながら気付いたけど、これは「アート」という概念がどこまでを包み込むかという話でもあると思う。
「作者の生い立ちやその背景から作品の意図を汲み取る」というのは私が教えられた、「作品を見せて、見た人の感想をきいて、自分の意図とちがっていても、そう捉えたのならそれでいい、というのは、いけない」という考え方と一緒なのだな。つまり作品作りは自己の考えを正しく理解させる手段であるということ。ずっとこれは違うと思っていたけど、今回の「野暮なのかも」という発想も、私に「自己の考えを正しく理解させる(ために表現する)」という教えを提示した人達には理解出来ないのかもしれない。あるいは、作者の作品に込めるマインドに依るのかもしれない。またあるいは、「アート」という概念のジェネレーションギャップなのかもしれない。

 

(・ω・)

 

だんだん認識が進んで来た。
この話、結構前から思ってた事と同じ文脈だ。

前違うところで書いた文章で、
『私の認識ではアートとは「自己が主張したい意見・哲学が作品を通して表現されているもの」です。つまり、「ビジュアルとして美しいと感じるもの」だけでは現代に定義されるアートではない。』
ってのがある。「作者の意図は(あるけど)無視する」を通り越して、「作者の思いは特に作品に込もっていない」って話なのだけど、双方共に、作品が作者の思いに捕われないことが共通している。「自己の考えを正しく理解させるために表現する」ってのは、作品が作者から独立してない感じがするのに、どうしてそれにこだわっているのか、というのが私の「アートに対して感じている疑問」を噛み砕いたものなのだな。

なんだ、「作品は自分の子どものようなもの」ってよく言うけど、ほんと作品づくりは子育てのようなものなのだな。

もしかして、キーワードは「自立」なのかも。つまり、「自己が主張したい意見・哲学が作品を通して表現されている」・「自己の考えを正しく理解させる」というのは、親が娘をまもり、育て、結婚して親元から離れたり、一人暮らしを始めたりして、自分(親)から受けた影響はあれど、またちがった世界で生きて行くという事を許容する力が足りていない、子離れができていないって私は感じているのかもしれない。

 

私に教えを提示した人達は私よりもみんな年上ってところから仮説をたてると、それは昔の方が、「イエ」とか「血縁」の繋がりが濃かったことと繋がっているのかもしれない。社会が「イエ」の文化から離れて、核家族になったり、単身者が増えたりといった時代の流れがアートの概念をつくっているのかも、しれない…(・ω・)

 

だとしたら、違う時代を生きているのだから、私にアートの概念を教えた人達と私のアートの概念がこうした形でブレていても、おかしくはないのかもしれない。作品に時代の価値観がでるというのはアートというジャンルに対してもそうであるのかもしれない。

 

 

おうおう…(・ω・)

 

 

ハイアートに対しての疑問に、自分なりの答えが見つかった。

 

 

日本美術史を教えてくれてたひとが、「会田誠村上隆がどれだけ現代アートと言われていても、あなた達はすでに違う時代を歩いている」って言ってたけど、そういうことなのかもしれない。


しかし染織の専攻だったから、学んでいることの多くは現代から離れたところにあるって感覚はずっとあったけど、大学で教授から学んでいる事というのは、概念的な意味でも既に時代遅れのことを教えられているってのも改めて実感した。

 

他の同世代の人はどう思っているのだろうな。

「作者の意図は(あるけど)無視して大丈夫」は肌感覚としてみんな思ってると学生のころから感じてた。
それを通り越した、「作者の思いは特に作品に込もっていない」もたまに感じてた。でもそれは環境が赦さなかった。私は「作者の思いは特に作品に込もっていない」「ビジュアルとして美しいと感じるもの」を大学を卒業してからつくっているけど、それを「アート」ととして認める人はどれだけいるのだろう、な。