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メタファーの境界

20代女の日記です。日常の肥溜めの上澄みみたいな感じ。

会社を辞めました

2月26日付で一年勤めた会社を退職しました。長かったような短かったような。まだ辞めた実感なかったけど、今日の昼にスーパーに入った時にお客さんが全然いなくて、平日の昼に仕事してないってこんな感じなんだなーとちょっと怖くなりました。1年ちょと前までフリーターだったから、その時は平日の昼間にお店行ってたんですけどね。やっぱりその怖さって「これから仕事」ってのがないから発生してるんだな。おお…そっか…(・ω・)

 

仕事辞めてすぐの雨の月曜日になんで外に出てるかというと、職業訓練の申し込みに行きたかったから。web系のコース。内容はPhotoshopIllustratorを用いた画像の処理の仕方から、HTMLとCSSdreamweaverの使い方、Javaの活用、といった感じ。私はPhotoshopIllustratorはそれなりに扱えて、HTMLとCSSはささやかだけれど何となく知ってるので、がっつりプログラミング方面のコースがあると良かったのだけど、そこはしゃあない。周りの都道府県も雇用保険受給者向けのやつは似たような感じで、何より3ヶ月コースばっかりなんだよね。私が行くのも3ヶ月のやつで、せめて6ヶ月のがあると良かったんだけど、雇用保険ない人向けの訓練しか6ヶ月はなかった。求職者支援訓練ってやつなんだけど、こっちを受講するのは手当が出なかったり、訓練の他に就活しないといけなかったりと色々不便で、雇用保険あるんだったら公共職業訓練って方に行ってくださいねっていう内容。

 

まあ選考があるので受かるかどうかが最初の問題ですね…

 


(・ω・)

 


会社辞める日、お花とお菓子とナマ肉(笑)を頂きました。そういや今日は肉の日ですね。
同期の子が計画してくれたみたいで、みんなで割り勘してプレゼントしてくれたようです。チョイスが謎すぎてポカンとしてしまったけど、嬉しかった。出張の打ち上げの焼き肉屋さんで、私が脂身の多い肉をうまいうまい言って食べてたのが印象的だったらしい(笑)。すごい霜降りで500gくらいはあった。いくらすんのかな…。少しずつ食べてます。霜降り過ぎて重たいんだよね。ちょううまいです。

プレゼントもらったタイミングで「何か一言言わなきゃ!」と思って、「みなさん今まで大変お世話になりました、ここに来る前の私はフリーターで、初めての正社員でした」ってもっと仕事にまつわる話をすりゃいいのに自分の話をしてしまった。そうこうしてる内に涙目になってしまって話せなくなってしまった(苦笑)。

 

家に帰ってきてお花見ながら皿洗ってたら、自分が何故美大に行って、どんな就職がしたかったのかって答えがふと出てきた。当時は言葉に出来なかったけど、私は「バリバリの」でなく「何となくデザインの仕事」に就きたかったってこと。別に染色がしたかったからテキスタイルコースに行ったわけじゃなくて、何となく興味があることの中で消去法していったらテキスタイルが残っただけなんだよね。で、美大卒の履歴書とそれに伴う少しのスキルでやりたかったと思っていた「何となくデザインの仕事」に(正社員で)就くことはこの一年で叶えることが出来た。

そして高校とか大学の頃に思ってた、おぼろげな形のかつての理想は、実際に自分をその環境に置けたとき、輪郭がしっかりして現実となって、実は満足できないものだったことを知った。それは「こんなことがやりたいわけではない」という理想と現実のギャップという意味ではなくて、思い描いていたものが実際働いてみて補完されただけで想像通りで、理想そのものだったけど、理想通りの就職ができたのに、フリーターの前職の方が内容が難しかったり、お客さんに言われた通り提案つくって、特別緻密でもない発注をかけることの「楽さ」が「こんなもんか」という気持ちを大きくさせた。「何となくデザイン」の仕事に就くことは、その「楽さ」を求めていたはずだったのだけど、この会社に入った頃にはすでにその「楽さ」に苛立つ自分になっていた。

 

簡潔に言うと、納得できたし、飽きた。

 

自分が理想に思ってたことは達成した。広告制作会社でフリーターした2年も無駄じゃなかった。メーカーで正社員した1年も過去の自分の夢を叶える事に使えた。メーカーで働く事の欲求を満たせて納得できたし、飽きた自分になれた。

 

案外成長できていることが実感できた。


だから少し晴れやかな気分なんだよね。

 

 

(・ω・)

 


もちろん辞めたのは楽だったから以外のことも当然要因があるけど。経営者の奥さんから間接的に「あんたはブサイク」って言われたりとか、仕事してるところにやってきて私だけ洗濯物干させられたりとか、コミュニティも嫌だったりとか、お金の面に関してはまだマシな会社だったと思うけど、「着替える時間があるから18:30でタイムカード切っても残業代つかない、18:33で切れ」→18:33で切る→「18:35で切らないとつかないから」とか(苦笑)、意味不明なことも沢山あったけど、勤務時間も少ないしまあ世間と相対的に見たらそうでもないと思う。私はとても嫌だったけど。

あと、経営陣でデザインの管轄をやってる上司が言い方悪いけどものづくり舐めてる感じがしてて嫌だった。ああいうのなんていうんだろうね…。納期とか言葉遣いとか、加工に持ち込む商品が遅延しても連絡せずほったらかしとか、顧客のものじゃなくて自分が使うものだから安く作れ、とか。下請けのことなんだと思ってんの?みたいなことが多かった。専門とか美大とか出てない人だったんだけど、ものづくりの現場が肌感覚でわかってないからそんな体制の職場になるのだろうか。そういう人がものづくりに関わること自体に否定的な考えなんてなかったし、偏見だなあって我ながら思うけど、ちょっとトラウマになってしまった。

まー代理店とかも似たようなもんかー

 

 

 

でもそれが世間で一般的でも、私がその環境が嫌なら、そこに留まらなくてよいのだ。

 

 

 

とりあえずこんなもんかな。
働いてて思ったことがもうちょとあるので明日にしよう。

 

 

会社を辞めることにしました

一年勤めた会社を辞めることにしました。「1日目から辞めたい」って入社早々話していた同期からは「よくもったと思う」との感想をいただきました(笑)。ほんとよくもったよね。自分でもそう思う。

 

辞めたい原因は今更書くまでもないくらい蓄積されていて、会社の閑散期に当たるのが今の時期だから辞めるのが自然な流れだよね、という感じ。12月にちゃんと微々たる賞与ももらえて、暇な時期に差し掛かり、ゆっくり引き継ぎのデータを粛々と作っている毎日です。辞めた後の生活がきっちり決まっているわけじゃないから不安もたくさんあるけれど、朝起きられて溜まったゴミをやっと捨てられた日、ぐらいの気持ち良さはある。特別な出来事ではなくて、当たり前のことって感じ。

 

今日も会社で辞める選択をしてよかった、と思える出来事があった。
ちょっと前から新しい受注システムが導入されて、お局さん二人が他の人のアラ探しをよくしているのだけど、お局さんから明らさまに嫌われてて、よく嫌味に注意されちゃう人が今日は丹念に攻撃された。

 

理由は次期社長が出張で、その奥さんは長時間の外出をしていたから事務所に八階側の人がいなかったのが大きい。途中で奥さんが帰ってきたけど、それでも攻撃がまだ続くから奥さんがしびれを切らして若手二人を会議室に呼び込んでた。若手二人と同じ年の子(私)が辞めるって言ってるタイミングだから、自殺が伝播するみたいに、嫌なこと=辞めるに直結しないように配慮したっぽかった。奥さんは経営の才はあるけど感情のキャパシティは少ない人なのに、こういう時は人の感情を察して動けるんだなーと感心した。まあでも、それも損得勘定のなせる技なのかな…。

 


私は基本的に注意というものをしたくない人です。理由は失敗したという事実だけで学べると思っているから。同時に健忘に対しても「次は忘れずにやってね」とか言いたくない。もし失敗してもできないのなら、大概の場合は不適格なのだと思う。何かができないのは、それに向いていないから。

 


いまの会社は時間になったら荷物を集めて業者に持って行ってもらってるんだけど、その制度が私が入社した頃からの始動で、みんな癖付いてなかった。毎日集め当番をデスクごとに回すんだけど、忘れてて業者に間に合わないってことがしばしば起こってた。私は前の会社で過度に雑用をこなす能力がついてて、そういうのを察知するのが得意で他の人の番の時も「忘れてるなー」と思ったらやってた。

 

でもみんなやってもらっても「すいません、次は言ってね、」って言うだけでまた次も忘れちゃったり(携帯のタイマーつけたりしない)とか、荷物が遅れずに済んでんのにそのことへの感謝がない(ありがとうぐらい言えよ)とか、そういう体制であることにいつも疑問とふつふつとした憤りがあった。忘れちゃう人は失敗してもできるようにならなかったし、できない人がいるシステムなのであればみんなができるシステムに変えるか、当番制を改めるとか、対処がいるはずなのにそんな動きも無かった。私が他の人の分をやったら「なんで言わないの」って逆ギレするのです。気持ちは理解できるけど、それはやってもらった相手に対してとる態度ではない。

 


私が受けてきた学校教育も当然(私はおかしいと思っているけど)怒号が飛び交うような注意の仕方をする教員もたくさん見てきたし、世間のマジョリティも、できないことがあったら注意する・叱るといった行動をとると思う(怒る人は論外)。会社の人たちがタラタラ注意してしまうのも私みたいな感覚がないのは当然として、「できないことには注意すれば改善される」って考え、というより感覚があるんだなーって思う。多分、社会的に是であるとされているから「出来ない=注意する」って紐付けされてて、深く考えてないよね。

 

でもそれって豊かじゃない。注意されたから気をつけようってなるんじゃなくて、失敗して起こる何かしらの損害が自分に対して次どうすべきか考える材料になるから行動が改善されるんじゃん。事実だけ淡々と伝えたらいいのに、感情を伴わないで「注意」ができる人は稀だなーって今まで生きてきた中で見てきた人を思い出すと、思う。

 

 

お局さんもね。

 

 

(・ω・)

  


上に書いた荷物当番の話は結局、年末に「出来ないことはできなくていいんです!」って行きたくなかった飲み会で次期社長の奥さんに言ったら、lineか何か回したみたいで、年明けから急にみんなタイマーかけるようになっちゃった。これも豊かじゃない。そういうのが苦手な人、当番が回ってくる日、忘れないようにってドキドキしなくちゃいけなくなっちゃった。こんな恐怖政治して、何の実りがあるんだろ。こんな運営方法で、いいと思ってんの?(・ω・)

 

受け入れられないだろうし職場に愛がないから提案しないけど、当番制をやめて各々荷物持って行く、業者には時間になったらチャイム押してもらう、とか、改善方法は簡単にあるのにね。

 


で、荷物当番が強引にちゃんと回り始めて、一週間後に辞めるって言いました。

 


しかし今日の件で私と同じ年の子二人よりも心配だったのは、私が入社する前からメンタルの調子を崩して休職してた人のこと。ちょうどこないだ復職したばかりで、そんな人がいる中でよく荒れたことを言うなーという感じだった。去年会社の食事会で、お局の一人、「私は休職中の〇〇さんが大好きで、どうやったら彼女が帰ってくるかなあってよく考えるんです」ってスピーチで言ってたんだぜ。〇〇さんが会社に来ないことの一因、お前やないか。あんな昼休みに図書館行ってんのに、これは洒落にならない…(・ω・)

 


まあ会社のために注意してるんじゃなくて、鬱憤を晴らすターゲットにもってこいだからいじめちゃうだけなんだけどね。

隣に座ってる上司に「私はあんな大人にならないように頑張ります」って言った。

 

 


明日は金曜日。
後3週間ぐらい。

もうすぐ終わるねー。

 

 

 

オタクが片付けして物を持たなくなった話

明けましておめでとうございます。会社の年賀状リストで「喪中」にしてきたので会社では言わない方が良いかもしれないのでこちらで言います。年賀状送るの、もう止めにしたくて…

実家を出て初めての年越しでした。大晦日の晩に自転車で走ってたらやけに静かで、「おお、これが年越しの町なのだな…」と新鮮な感覚を味わいました。交通量が増えるイメージだったけど、みんな家で紅白とか見てるからだろうか。今までは家にいたり、そもそも人口が少ない所に住んでたから外に変化があることが新鮮だったのですな。

 


今年の目標は禁酒かな。苦笑

 


毎年そうだけど、なかなか大掃除をする気分にならない。それなりに汚い部屋で過ごしてしまう。あまり物がない部屋にいるのもあるけど。

 

物を持たない人のことをミニマリストって呼ぶんですね。去年の流行語の中にも入ってたけど、結構最近知りました。「物を持たない」ってことがジャンルとして確立して分類名が付いているのですな。いつからだろうか。

 

リビング空っぽ、みたいなバリバリのミニマリストの人からしたら到底及ばないけど、私もその気があります。もともとはゲームオタクで物に溢れた生活をしてて、片付けもすんごい苦手だったけど、ファミリーコンピュータからWiiまでのハードとそれなりに数あるソフト(任天堂信者だった)、何年分ものゲーム雑誌、同人誌に、絵を投稿する雑誌、マンガ、OVAとか、ほぼほぼ捨てたり売ったりして処分しました。自分が描いた絵も随分捨てたなあ。捨てて捨てて実家には自分のものは残さないようにして、今の1Kの部屋にあるものが自分の所有物のすべてになった。あ、Wiiゼル伝スカイウォードソードがやりたくて連れてきたけど。

 

片付けの本って、本屋行ったら棚一面陣取るくらい種類が出てるんですね。英会話とダイエットは搾取するビジネスだって聞いた事あるけど、片付けもここに属するのでは。どれだけ片付けの本読んでもむしろ本増えて片付かないと思うんだけど…(・ω・)

 

個人的に部屋を片付けられたのは、「収入が少なくても(狭い部屋にしか越せなくても)自分の荷物を残さず実家を出たい」ってのと、まだ達成してないけど「いつか海外で生活してみたいなー」ってのがあったから。物を減らさないとこの二つの選択肢を選ぶところまでも行かないな、と思ったし、じわじわオタクなことから興味がなくなって、今まで集めてきたものの愛着が薄れてきて、この二つの欲求の方が大きくなった。それが一番の要因だと思う。


なんで部屋が片付かないか人によると思うけど、物を抱えなきゃいけない趣味だと片付けは捗らない。プラス、どうして片付けたいのか、動機があった方が良い。大概の人はここが大きいのではないのだろうか…(・ω・)

 

だから自分の趣味が物を抱えないと満足できないものなら部屋片付かなくていいと思うんだよね。部屋散らかっててもいいんだよ。オタクの私はそうだった。
多分それでも片付けたい人は片付けの前に自分の趣味に対するコンプレックスとか、そっちを疑った方が良いのでは…(・ω・)


掃除するか。

 

 

禁酒しようと思った

昨日忘年会がありました。大学の学部の先輩で仲良くしてくれている人がいて、誘ってもらいました。

何故か超絶グロッキーになりました。

昨日の忘年会は18時からで、16時頃に白菜のっけた袋麺の煮込みを胃に入れて臨んで、4杯でリバース。


(・ω・)


私はお酒が弱いです。強くなろうと試みて、一人で梅酒をひそひそ飲んでいた時期もありましたが、せいぜい飲めて2、3杯です。元々発泡酒の缶半分で頭痛がするところからのスタートだからそれでも強くなってるけど。

お酒の場の雰囲気も好きだし、もっと飲みたいし、飲めないと割り勘とか金銭的に損だし、酔っ払いたいけど、体質的に無理です。

空腹で飲むと我慢できない吐き気にその場で襲われるので飲み会の初めはひたすら食べます。昨日は特に準備して行ったのですが、体調が良くなかったのかなんなのか、家帰ってから吐きまくりました。

トイレで吐きまくってたら「ああ、一人暮らしって、もしなんかあっても、誰も助けてくんないんだな…」とふと思って、止まない頭痛に生命の危機を感じました。苦笑

だったら飲まなきゃいいんですが、
「自分はお酒が飲めない人」ってのを認めることがむつかしくて、なんとか飲めるし、これまではそんな感じでやってきたんですが、

そろそろ限界かなあと…



(・ω・)…



こうやって飲み会から遠ざかっていくのだろうか。要は若気の至りで酒飲んでたと。大学出てそろそろまる3年。そういう時期なのかしら…(・ω・)

お酒が飲めない人でも楽しめる飲み会とか、あるいはそれに匹敵するシステムってなんだろう。たとえ飲める側が気にしていなくても、飲めない側は飲めないことを気にするよな。私はそうだ。

もしかしてそれも若気の至りなのかしら。


昨日店から出てトイレ行ってたら、その間にグループからはぐれてしまって、その足で帰った。苦笑


酔って明るくなる人になりたいなー。


良い年の瀬を。


なんで「おもしろいと周りから思われるような立ち振る舞いをわざとらしくする人が苦手」って思うのか考える

標題の人が苦手です。ちょっとした受け答えにオーバーなリアクションをとったり、何かミスをしてもすこしちゃかしてしまう人。叱られそうな場面でも、おもしろいキャラでいれば赦される、あるいは場の緊張感が緩和されると考えているのが滲み出ているのを感じてしまう。

 

今日大家さんが家に来ました。実は入居当時から洗面台の水道が詰まってて流れなくて、でも7月入居で(おそらく)破格な価格で貸してもらってるので黙ってたのですが、「前回より水道の使用量が40%上がっています」という投書をこないだされまして…(水道代は固定で管理会社経由)。「前回より40%」って結局払ってる水道代より使用量が多いのかどうかわからんじゃないかとか思いつつ、これを機会に洗面台が流れない事と、クーラーから黒い塵が落ちてくることを連絡したのでした。

 

やって来た大家さん、すごくいい人そうで、「どうして入居してすぐ言わなかったのか」とか直接的に言わなくて良かったのですが(「掃除したときは大丈夫だったんだけどなー、は言ってたw」)、前述の「わざとらしい人」でちょっともんもんしたのでした。

 

具体的には、「(1時間ぐらい遅れて来て)仕事がちょっと残業になっちゃって!笑 すいません!笑」みたいな言葉とか、クーラーの掃除をしようとしたら前のフタが開かなくって「開かないよー!おかーさーん!」って言ったりだとか。

 

実は今の職場の同期が同じような人で、そういや今まで自分がいたコミュニティにもこういう人いたなーとか思い出す。同期はそういうキャラが受け入れられていて、周りの人達はわざとらしさを感じていないのか何なのか、その反応の度に笑うし、同期はそれをコミュニケーションの手段にしている。

 

演技だから、本当の感受性じゃないから嫌なのか。上に書いた、自分を受け入れてもらう為の手段として繕っているのが見えるのが嫌なのか。それもそうなんだけど、多分もっと深くて、遠回しにそのコミュニケーションのとり方を強要されるから嫌なんだろうなと思う。周りが受け入れているという事は、周りと上手くやる為には自分を取り繕えという強制力がコミュニティに働いているということなのではないか。周りに適応するために嘘をつくのがよい手段とされるのが私にとっては受け入れがたいのに、取り繕う人がいるとその空気を助長する。恐らくそれが不快なのだと思う。

 

(・ω・)

  

私が感じる「取り繕ってる感」の根拠はどこにあるのだろう。実家に住んでいた時、同期と一緒に帰ってて、彼女が電車の中で会社の愚痴しか言わなかったから?(笑)でも大家さんは初対面でソレを感じたし、管理会社の人も電話口だけどその風を醸していたし、前の会社の取引先にも同じような人がいた。

 

嫌な言葉だけど、共通しているのは「馬鹿にしている」ってのが思い当たる。相手に気に入られる為には相手にとってよく見せておけば良い。同期も会社で上手くやる為には会社の人に気に入られないといけないし、大家さんも管理会社も取引先もお客さんに対しての態度。揉み手のイメージ。裏には「騙しとけばいい」って考えがある。同期が電車の中で会社の愚痴しか言わないように、本心は別に、ある…(・ω・)

 

つまり、「周りと上手くやる為に自分を取り繕うことを強要されること」、「自分を取り繕ってる人達は取り繕う相手を馬鹿にしていること」が「おもしろいと周りから思われるような立ち振る舞いをわざとらしくする人が苦手」の原因である、と…

 

 


そう…(・ω・)

 

 


嫌みじゃない面白い人ってどんな人だっただろう。また同僚は私と同じように同期の嘘を感じてはいないのだろうか。感じているならその嘘は不快じゃないのだろうか。

なにより取り繕うのはしんどくないのだろうか。自分で自分を偽ることを良しとする環境を自らつくるなんて、悪循環じゃん…(・ω・)

 

でも今の世の中のマジョリティに多分私は負ける。

 

結論はね、会社辞めたい。笑

 


(・ω・)

 


今度大阪の手づくり系イベントに出す事になりました。年明けです。
久し振りのイベント出店です。なに持ってこう…
また詳細が決まったら書きます。

 

 

 

マグリット展

昨日行って来ました。大学時代の友達と一緒に。

隣でやってたルーブルをみずにこっちだけ…(・ω・)

マグリットの作品って確か小学生の頃から美術の教科書に出てきてて、魅力的だなーってのはずっと思ってたのだけど、生で初めてみて来ました。今まで特別勉強したことは、ないかも…(・ω・)残念なことにシュルレアリズムの概念も説明できないままみました。

 

とんちんかんな解釈をしているかもしれないけれど…(・ω・)


作者のコメントがついてる絵もあって、みてて気になったのは、①「外を描いていてもそれは中からのイメージの外である」とか、②「事物と事物の表象は全く異なる」とか、③「三人の男性は同じ月をみながら違う月をみている」とか、その辺。これってつまり、描いているものは自分のフィルターを通してみた風景であって、突飛な画面でも、作者の中ではそう見えているのだから、ある意味限りなく(自分にとっての)真実ってことなのかなーと思った。で、自分以外の人間もそれぞれ事物を事物のままみていないし、それは自分と同じ感覚ではなく、三者三様の捉え方をしている、と。。。

展示を進みながら、①とか②とかがわかってきたときは「社会性のなさそうな人だなー」って思いながらみてたけど、ちがうね。③があるから人の価値観がそれぞれなことも言っているのだな。「自分にはこうみえてる世界」ってすごく主観の表現なのに、それを意識してるってことが意外だった。「ゴルコンダ」って作品も「絵ではなく鑑賞者に感情がある」的な事が書いてあって、上に書いた三者三様の世界観を意識して表現をしているのが印象的だった。

白紙委任状」って作品も「見えているものを描く事で見えていないものを描く」的なことが書いてあったのだけど、単に馬と女性の切れている部分が補完されるってことじゃなくて(それもあるけど)、絵のバッググラウンドが鑑賞者によって補完されるって意味を含むのかもしれない。「ゴルコンダ」ってのはまさにそうかなーと。ゴルコンダってのは豊かな都市の名前らしい(よね?)。もしこれが「東京」でスーツの男性が浮いてる絵だったらって考えたら、私はどう解釈するかな。私の解釈は隣にいた友達のものとはちがうのよね。同じものをみてても。


・・・とここまで書いてちょっと調べてみたらシュルレアリズムって超現実主義っていうらしい。そうだ。そうだわ。概念的に理解出来てなくて言葉が飛んでた。調べてもよくわかんないのだけど(苦笑)、無意識のときにみえている世界が「超現実」でその光景を捉えているらしい。そうかー。なるほどわからんけど、「自分にはこうみえてる世界」というより「無意識下ではこうみえてる世界」って感じなのか。


表現が自身の主張を表すものでなくてもよいのではないかって視点に興味があるから、鑑賞者によって補完されることが許されているのではないかって思ったときはわくわくしたけど、どうなんだろうな。ちがうっぽいな。笑

 

 

 

(・ω・)

 

 


友達と話してて、大学出た後も周りの人達がなんやかんやでものつくってるのがわかったのが嬉しかった。知ってたけど、もっと実感が沸いた。教授から声が掛かってグループ展するらしい。画塾の先生とかが大学でたらみんなものつくらなくなるって嘆いてたのを高校時代にきいてたから、もっと酷いと思ってたけど、予想より遥かによい。まだ卒業して3年目だからだろうか。私もなんだかんだでつくってるしな。。

 

そういやこないだ手づくりイベントの申し込みをしました。進展があったら書きます。
インテのデカイやつ。ポストカード以外になにか持って行きたい。簡単なスカートとかつくれないかなと思案中。昇華プリントでさ。しかしビジュアルを落とし込むってやっぱむづかしい。

実はもう、何かに落とし込むのはきっと野暮なことなのかもしれないって薄々感づいてる。クラフト・工芸・アクセサリーはとっつきやすいけど、私が一番納得する方法ではなく、手段の一つだろうなと思う。でも作家を志せるアイデンティティを築けていないから、いまはこの状態でいる。どうなっていったらよいのだろうね。。。

プロフィール

プロフィール20161202

(20161202更新)

自己紹介のページをなんとなくつくってみました。
こんな人が書いてます。

 


20代女。美術大学卒。在学中就活したけど内定が出ず、新卒を逃して既卒フリーターに。広告制作会社でアシスタントを2年経験。その間カンボジアに一ヶ月行ったりする。その後スポーツ系アパレルメーカーでデザイナーを1年経験。退職後二ヶ月弱の無職期間を経て、現在は雑貨屋でアルバイト中です。

 

 

ちょっとニート気質で、自分と周りを比較する能力が欠けています。自覚はあまりないけど、多分とてもマイペース。

 

ここ数年の関心は生活の営みについて。どうやって生計を立てつつどうやって自分の生きていきやすいようにシフトしていくか。

 

最近薄々感じ始めているのは、自分が嫌だったり、耐えられないと感じている環境からは無意識に離れていくし、自分がやりやすいようにせざるを得ないというか、引き寄せられるように、なりたいように少しずつ自然と流れていくのだなということ。

 

いまは企業で働かずに自分の作品を売ったりして生活できないかなーと夢みています。現在は手作り市に出てみたり、お店に作品置いてもらったりして活動中です。アクティブな活動はいわゆるクラフトって呼ばれる分野だけど、いわゆるアートの分野で作品を作りたくもなってきました。

 

具体的な売り上げ目標とか、半年後の進出目標とか掲げると辛くなるので笑、他で収入があるから数字を考えずにやりやすいようにやって、生活が成り立つ、という状況にじわじわもっていきたいななんて思っています。あるいは、マルチワークというか、ひとつの会社に勤めるだけじゃない生計の立て方に興味があります。

 

 

そしてベーシックインカムがほしい。苦笑