メタファーの境界

30代になった女の日記です。日常の肥溜めの上澄みみたいな感じ。

アートの概念

ツイッターに収まりそうにないからこっちに書く。

 

何となく90年代jpopの歌詞の考察サイト見てる。

ふと思ったのだけど、音楽でも絵画でも作者の生い立ちやその背景から作品の意図を汲み取るのはとても自然で一般的なことだと思うけど、もしかしたら野暮なことなのかもしれない。作者の思案した通りの作品理解のためには不可欠かも知れないけど、手品のタネを解いていくような行為なのかもしれないとちょっと思う。なんというか、役者の役の心の表現ではなくて、俳優の心を解くような感じがする。

もしかしたらこれはアートと哲学の境い目の一つなのかもしれない。いままでは哲学に表現が加わればアートになると思っていたけど、それだけじゃなくて、表現をそのまま素直に受け取り手の感じるままに感動できるのはアートの特性なのかもしれない。もっとも、作者の意図を追い求めるというのは哲学というより、仏教とか、宗教なのかもしれないけど…(・ω・)

優れた作品は、どのひとにおいても汎用性がある普遍的な意味を持つ作品である側面があると思う。
誰でもどこかの部分に自己を投影できる要素があるというか…。それはその楽しみ方でいいんだろうなと思う。


書きながら気付いたけど、これは「アート」という概念がどこまでを包み込むかという話でもあると思う。
「作者の生い立ちやその背景から作品の意図を汲み取る」というのは私が教えられた、「作品を見せて、見た人の感想をきいて、自分の意図とちがっていても、そう捉えたのならそれでいい、というのは、いけない」という考え方と一緒なのだな。つまり作品作りは自己の考えを正しく理解させる手段であるということ。ずっとこれは違うと思っていたけど、今回の「野暮なのかも」という発想も、私に「自己の考えを正しく理解させる(ために表現する)」という教えを提示した人達には理解出来ないのかもしれない。あるいは、作者の作品に込めるマインドに依るのかもしれない。またあるいは、「アート」という概念のジェネレーションギャップなのかもしれない。

 

(・ω・)

 

だんだん認識が進んで来た。
この話、結構前から思ってた事と同じ文脈だ。

前違うところで書いた文章で、
『私の認識ではアートとは「自己が主張したい意見・哲学が作品を通して表現されているもの」です。つまり、「ビジュアルとして美しいと感じるもの」だけでは現代に定義されるアートではない。』
ってのがある。「作者の意図は(あるけど)無視する」を通り越して、「作者の思いは特に作品に込もっていない」って話なのだけど、双方共に、作品が作者の思いに捕われないことが共通している。「自己の考えを正しく理解させるために表現する」ってのは、作品が作者から独立してない感じがするのに、どうしてそれにこだわっているのか、というのが私の「アートに対して感じている疑問」を噛み砕いたものなのだな。

なんだ、「作品は自分の子どものようなもの」ってよく言うけど、ほんと作品づくりは子育てのようなものなのだな。

もしかして、キーワードは「自立」なのかも。つまり、「自己が主張したい意見・哲学が作品を通して表現されている」・「自己の考えを正しく理解させる」というのは、親が娘をまもり、育て、結婚して親元から離れたり、一人暮らしを始めたりして、自分(親)から受けた影響はあれど、またちがった世界で生きて行くという事を許容する力が足りていない、子離れができていないって私は感じているのかもしれない。

 

私に教えを提示した人達は私よりもみんな年上ってところから仮説をたてると、それは昔の方が、「イエ」とか「血縁」の繋がりが濃かったことと繋がっているのかもしれない。社会が「イエ」の文化から離れて、核家族になったり、単身者が増えたりといった時代の流れがアートの概念をつくっているのかも、しれない…(・ω・)

 

だとしたら、違う時代を生きているのだから、私にアートの概念を教えた人達と私のアートの概念がこうした形でブレていても、おかしくはないのかもしれない。作品に時代の価値観がでるというのはアートというジャンルに対してもそうであるのかもしれない。

 

 

おうおう…(・ω・)

 

 

ハイアートに対しての疑問に、自分なりの答えが見つかった。

 

 

日本美術史を教えてくれてたひとが、「会田誠村上隆がどれだけ現代アートと言われていても、あなた達はすでに違う時代を歩いている」って言ってたけど、そういうことなのかもしれない。


しかし染織の専攻だったから、学んでいることの多くは現代から離れたところにあるって感覚はずっとあったけど、大学で教授から学んでいる事というのは、概念的な意味でも既に時代遅れのことを教えられているってのも改めて実感した。

 

他の同世代の人はどう思っているのだろうな。

「作者の意図は(あるけど)無視して大丈夫」は肌感覚としてみんな思ってると学生のころから感じてた。
それを通り越した、「作者の思いは特に作品に込もっていない」もたまに感じてた。でもそれは環境が赦さなかった。私は「作者の思いは特に作品に込もっていない」「ビジュアルとして美しいと感じるもの」を大学を卒業してからつくっているけど、それを「アート」ととして認める人はどれだけいるのだろう、な。

 

 

 

今日の会社でのできごと。信頼と裏切りと損失のサイクル。


久し振りにブログ書く。
ちょっと前の記事見返したらこの会社に入る前の記事が最後なんだな。今日で入社して5ヶ月目に入ったところ。一人暮らしも今月から初めて、この半年間で目標を淡々とこなしているのだな。そこはちょっと感慨深い。周りの人は2年前にやってることなんだけどさ。

まあもう会社辞めたいんだけどね。苦笑


標題の今日会社で起こったことについて。

こないだお客さんからクレームがあって、担当してた人がそのことで対応に追われてた。小さい会社だから事務所のみんな一部始終を知ってて、結局社長まで社内の話に参加して、社長の判断でそのお客さんと縁を切ることになった。

でも次期社長にはその話の流れが上手く伝わってなかったらしくて、担当の人が書いたお別れの手紙に「これは送らない」と書き直しの命を出した。そしたら「縁を切るのはどうかと思う」という旨の話を次期社長がし始めた。

担当の人はお詫びのメールに、これからの対策に、(社長の判断の元)今週の時間を使っていたのに、根が尽きて言われた内容に泣いてしまった。

その場は「書いた手紙は送らないこと」と「縁を切らない手紙に書き換えること」という話でうやむやに一応終わった。


担当の人に内線が掛かってきた隙に次期社長に「会社としての方針が”お客さんを切らない”ことになったんですか?」と訊いてみたら、「会社としては色んな意見があって、決まっていないけど切らない方が良いと思う」という返事が返ってきていて、議論(なんて言えたものじゃないけど)がヒートアップして来た時に、あんたの一存かよ、こりゃ担当の人がかわいそうだわ、と思って事務所抜けて社長を呼びに行ったけど、外出してた。話し合いの一時間前ぐらいに「この手紙どう思う?」みたいなことを次期社長が他の人に話してるのを見ていたので、社長には「縁を切るのはどうかと思う」という旨の話はしていないんだろう。

次期社長のこの対応は稚拙だと思う。
言う相手を間違えている。最初に話すべきは社長だった。
言いやすい相手から話をしてはいけない。
もっと言うと、次期社長より上の人間の判断がもう出ているのだし、最初から話が見えていないなら口にするべきではなかった。

社内でこういったことをされるのは信頼を失うな、と思う。
従う上司によって意見を変えられるのは、まるで代理店の意向で制作会社が振り回されるような、外部とのやりとりを彷彿とさせる。そんなことを内部で起こしてはいけない。


ちょっとしたことだけど、前の会社で似たようなことがあった。
前の会社は長い間仕事用の携帯が支給されてなくて、外回りがある人は私物の携帯で取引先とのやり取りをしてた。会社からピッチが支給されてからも通話料の関係で、会社からその人にかける時は今まで通り私物の方にかけることになってた。

支給されてしばらく経って、外にいる上司に電話をかけたことがある。社内の規則に従って私物の方にかけたのだけど、「こっちじゃなくてピッチのほうに掛けるように」と言われてしまった。そのとき咄嗟に、うわ、番号間違えたかな?と思って「すいません、番号間違えてかけてしまいました」って言ったのだけど、やっぱり私の会社の規則の認識も、かけた番号も間違ってなかった。

後からわかったことだけど、どうも外回りする人達にとっては受けた携帯じゃないほうのピッチでかけ直す、とか結構面倒らしかった。だから上のようなことを言ったらしい。

でもこれも、言う相手を間違えている。
私じゃなくて、「使いにくいので通話料とか関係無しでピッチに統一しましょう」って先にその上司が代表に対して言うことだった。
私は外回りの上司を信頼してるからこそ上司を庇って自分の非にした。
私の信頼は裏切られてしまった。


こういったサイクルを当事者たちは理解しているのだろうか。
どの価値観においても、いいことはないと思う。会社や上司をいいものと思えなくなる、好きでなくなる、効率が下がる、自分が弱者だと認めざるを得ない、愛やこだわりを持てなくなる。
その損失を自ら引き起こして、自分も関係者だからそのダメージを自らも喰らってしまう。

たとえば今日泣いた人の明日の仕事の仕方が、効率的なものになるとは思えない。明日以降も今日のことを忘れる訳ではないだろう。


(・ω・)


むつかしいな。まるで三ヶ月ごとに波を迎える恋人のようだ。
踏ん張れるかどうかはその人達次第なのだな。
自分の言いたいことをしっかり言えたり、相手を赦したり妥協したりさ。
そうできなくなったらやっぱ離れていくよね。
家族とか守るべきものがなかったら、つなぎ止めるものがないから、やはり会社と自分の関係もそうなのだろう。



まあ今回のこと関係無しに私は踏ん張れないんだけどさー。
建設的に辞めることばかり考えてしまう。辞めてからの生活の仕方調べたり、ニートの人はどうやって生活してるか調べたり。苦笑

繁忙期が終わったら、辞めようかな。
ってほんとに思ってしまっている。辞めることを糧にして仕事してる。
これはいかんわ。何より会社の人に迷惑だもの。
もうちょっと具体的に辞めたい理由を書き出してみて、辞めてからの生計を現実的に考えられるようになってから辞めよう。


明日は金曜日だ。週末だ。
台風が強くなってきている。


タンス

今日テレビで「日記をつけるとその日に幕が降りて気分を引きずらない」といった旨のことを言ってた。

 

2月に就職が決まりました。

 

\(((((((^o^))))))/


周りの子が転職とかする中、なにやってんだろって感じだけど、やっと正社員。カンボジア行ったりとびとびだけど、3年も就活しちゃった。


しかしこれで非正規雇用から脱却です。
職種はデザイン。しかもメーカー。
嬉しい。


元旦に「これはもう自立せなアカンな」って出来事があって、ガンガンやろうと思ったら呆気なく決まって、「今までの苦労はなんだったの」っていう感じです。


2月いっぱいでお世話になった制作会社も辞めて、今は転職までの春休みです。
貯蓄がそんなにないのと最初は今よりも安い給料になるからしばらくは実家にいるけど(通える距離)、今年のどこかで一人暮らしにシフトしたい。

がんがん部屋の断捨離も進んで、タンスと布団の部屋って感じ。
もっと捨てるけど。

「私の部屋は仏間にでもして」って言ってから、母親が部屋が空くのが楽しみでしゃあないみたいで、その態度にいらいらしてほんとに仕方がないけど(上記のタンスは13年親戚のところで放置してたやつを最近私の部屋に入れたんだぜ)、もう関係のないところになるのだから、前だけをみて進むしかないのだ。明るい未来なのだ。

しかし部屋を空っぽにするという私のささやかな願望はもう叶わなくなってしまった。
あと数ヶ月で達成できたのに…


「もう関係のないところになる」といいつつ、やっぱそれが心残りなんだよね。
なんで親のくせに子どももやりたいことを阻害するんだろう。

まあ「私の部屋に入れたら」って言ったの私なんだけどさ。こんなに大きくて邪魔なものだと思ってなかった。一時的に外に出すからねって話はしたけど、そんなことができる大きさじゃなかった(言えよなー)。そして13年も使ってなかったものなんだから捨てたら、というのは話し合いにならない。「預かってくれてたおばさん達の気持ちはどうなるの」ってのの一点張り。そのおばさん達はタンスの面倒みるの放棄したんだからもう関係ないじゃん。あんたらが処分のことかんがえるの面倒だからスペースができたところにほうりこんだだけじゃん。これからのことを考えないと(そう言うと「めっちゃ怖い顔で言うねんな」ってのの一点張り)。たまたま場所があって良かったね。私が部屋片付けてなかったらどうするつもりだったの。その問いには「それはわからない」の一点張りだった。


考えろっつーの。


…という訳で、私は出て行きたいし、親は狭い家に自分たちが自由にできる場所ができて嬉しいし、ある意味でどちらもwinwinなのかもしれないけど、私が出て行く事=部屋が空くことに嬉々としていることがやっぱりむかつく。昨日家に入れるお金渡したら「もらっていいの?一人暮らしは?引っ越しもおとうさんに頼めばお金掛けなくてもすぐできるじゃない」ってノリノリなのがほんと癪にくるんですわ。

友達と話してやめておこうかと思ったんだけど、写真も母子手帳もへその緒も処分して出て行った方が、いいかな。自分の踏ん切りというか、けじめがつくだろうか。これからの親との関係で一番は老後に立ち入りたくないことなんだけど、自分の認知ができないような状態になったりしたらやはりむつかしいだろうか。しかしいいところばっかり吸われている気がしてしゃあないのだよ。どうしたらよいのさ。

そのタンスだって、自分では捨てたくないというなら、自分じゃない人に迷惑をかけて処分させることにどうせなるのに。私より30年も多く生きてるんだからそのくらい考えろよ。まわってくんのかなーその役目。嫌だなー。


…というわけで最近のダイジェストのひとつはでかいタンスなのでした。
地震が怖いです。昨日けっこう揺れたんだよね。
明日はいいこと書く。おやすみ。幕は降りたのだろうか。苦笑

 

 

 

イデアの差

 ちょっと前に、そういやこんなことも読んだよ。

http://togetter.com/li/578484

こういうのも。
http://togech.jp/2014/05/30/9069

 

(´・ω・`)

 

実はここ数ヶ月、とあるインディーズのCDジャケットをつくっていました。こないだCDの発売記念ライブがあって行ってきて、7月カンボジアにいるときにお話をもらってから、いままで、やっと全て終わるなーというところです。

きっかけは卒展の私の作品を先方が気に入ってくれたこと。作品の側に置いていた名刺を大事に持っていてくれていて、CDを出すことになったから、と2年越しで連絡が来た、というものです。

先方のお友達が私と同じ授業受けてた方で私のことを知ってて(私はお名前だけ認識してた)、同じコースに私の塾の同期もいてて、そこから連絡が来ました。違うコースの授業を熱心に受けてたから目立つ学生だったんでしょう…(・ω・)

やった内容はCDジャケットにとどまらずアートワーク全般。ジャケットは撮影から画像加工、歌詞とか乗っけるレイアウト、全部で7回(!)ぐらいの修正に、入稿作業、どこが安いか、紙は何が使えるかなど印刷所の比較検討。打ち合わせも5回ぐらいやった。

プラス、ツイッターのヘッダー、修正一回、プロフィール画像の加工、

プラス、CD発売ライブのフライヤー(map含)。

 


撮影もあったし、掛けた時間は100時間オーバーだろうか。

全部タダでやった。

 

(・ω・)

 

いや、一応謝礼とCD貰ったけどね。ライブ代も含まれてたし、出力費とか交通費の実費相当かな。

 

最初はここまで話が沢山出てくるとは思ってもみなかった。

話をもらったとき、「こういうのっていくらでやるんだろう?」と思って、上司に相談したら、「友達価格でしょ」って言われて。私も素人ではないけど、プロというのははばかられたし、初めてのことだしで、そんな私がお金をとるだなんでおこがましいのか、と思って上司の言葉をそのまま受け入れた。

まあその上司は撮影からやるなんて思ってもいないだろうし(普通制作会社で働いてたら画像はプロのカメラマンのやつを使う)、もらった素材に歌詞載せる程度にしか考えてなかったんだろうけど…(・ω・)
私も撮影から入稿は想定していたけど、大量の直しやその他のことは思ってもみなかった。


で、最後の仕上げ(だと思っている)の撮影画像のほぼ全部を先方に送るためギガファイル便にアップしている合間にコレ打ってます。

これはご本人が写ってるのだけ。さすがに風景だけのは渡せないし、渡すのも商用不可って条件付けたけど。

 


(・ω・)

 


なんでタダでやったかというとね、上に挙げた理由も一つだけど、本気で音楽活動してる人だと思っていたから。すごく透き通った歌唱だし、メロディも癖がない感じで好みだったし、実力のある人だと思った。これからどんどん力をつけて行くステップの途中って感じで、応援したいなーと


撮影ぐらいまでは思っていたのだけど…。


「音楽で食べていくなんて無理だし、彼氏も音楽してるけど、就職してほしいって言ってる」って発言をその後の打ち合わせでされてしまいまして…そんなやっとCDつくるところまでやったのに、バイトすらしてないのに自分は棚に上げて、生業じゃなくて、趣味かよ、、と…なんかね、すごく騙された感じだった。

 


私の彼女の大きな認識の差はここから生まれているのだと思う。

創作活動をしている人だから、つくることに理解があると私は思ってた。一枚のビジュアルをつくることが簡単な労力ではないことを想像出来るはずだし、自身も曲をつくるにあたってその苦労を知っているだろうと思ってた。

 

 

でもいくらお金も時間も人の力も使ってても、その人にとっては自分の趣味の一部でしかないんだよね…。

 

 

それにアマチュアの音楽の世界って金銭感覚がほんと安いみたいで、例えば曲の収録で助っ人でカホン叩いて貰ったら、一日五千円とからしい。ごせんえんて。その一日のために練習もするだろうに、ほんとに謝礼の世界よね。

私がやった仕事量も彼女がぽろっと口にした感じでは本気でお金払って5万前後みたいだったし、そんな金銭感覚だったら、多分仕事量相当のお金払えないよね…。

 

 

今日思ったのだけど、
例えばパンを焼いて、「美味しかった、またつくってね」ってお金もらって、そのお金が暮らしの元になること、新しいパンを焼くこと、新しいパンを焼くモチベーションになることになって、それがローテーションする。


創作活動もまた、それが本質なんじゃないのかと思う。


バンドでも漫画とかのサブカルもそうじゃん。好きなバンドのライブ行って曲iphoneに入れて、twitterっで好きですって@送って、お金とか時間とか、何かしら払う。自分が楽しくなれるし、また自分の好きな曲をバンドが提供してくれて、行為が還元される。

 

その概念の共有が出来なかったとき、その差はお金で埋められる。基本的に相手の専門のことは自分ではわからないから解決方法としてお金で納得する。

 


私が今回納得出来なかったのは、たとえお金とったとしてもこの認識の差を埋められなかったから。

 

納得出来なかった中で、一番大きなエピソード。

出来上がったジャケット、表紙があんまり良くないんだよね…。相手がどうしてもこの写真がいいっていうのがあって、NHK教育みたいなCDの表紙になってしまった。

もうね、撮りたての写真の状態で見せるのはなんとしても拒否するのが良かったのかなあと思うくらい…トリミングとかの関係も含めて、写真を気に入っても出来上がりのモノは違うし、使いやすいのも使いにくいのもある。素材の段階で相手の裁量が入って、すごくやり辛かった。デザインの力(プレゼンの力かな。作品を気に入られてよばれたから、元々はアーティストとしてよばれたようなもんだし)が弱いと言われたらそこまでなんだけど、ほんとキツかった。

相手も最初「撮影をしてほしい」って言い回しで声をかけて来たから、最終的なグラフィックより自分の写り方が大事だったんだろう。写真の選別でカメラの液晶ずっと眺めてるから「コレ終わらんな」と思って取りあげるように打ち合わせも終わらせたし…。
まあでもこれは普通の人は「加工してください」って言わないからかな。

 


「これは弾き語りの歌のイメージに合わない、良くない」って言うこと、総数50枚を超える表紙の提案(苦笑)、「CDをつくることに詳しい第三者から意見をもらうことは出来ないか(実現しなかった)」って言うこと、やったけど、ダメだった。


コレは上で言うパン屋さんやバンドマンにはある「信頼」が私に対してはないんだよね。
自己満足だから、の一言に尽きるというか…

 


趣味と、それで仕事してる人の認識の差は、デカい。

 


つーやなんかもう全部終わったらちょっと説教したいぐらい(笑)。フライヤーも「写真載せるだけだからちゃちゃっと出来るかなーと。デザインどうでもいいし。」とか言われたりね。時間の掛からないどうでもいいものなら自分でやったらいいのに。それではほんとに依頼する意味がない。自分に置き換えてみればいいのに…。


でもこちらはそれが自分の創作物として残ってしまう以上、手を抜けないんだよね…。


あと就職したから安定するってのは幻想だ!(笑)


フライヤーの辺りで次何か頼まれたらお金とろうと思ってたらその次はなかった。
まあ画像渡すけど。つーかアップロードが終わんない。また後日でいいかな…。

 


しかしいい勉強になりました。
相手はビジュアルのプロではないこと。
お金はとること。


遠慮しないこと。
私も相手に負けないくらい自分が大好きで自身の意見を信頼してるって感覚を持つこと(むつかしー…)。


もし何か次似たようなことがあったら、今回の教訓を絶対活かすぞ(`・ω・´)

 

 

 

八階の意向

京都文化博物館琳派展がやるらしい。地下鉄の駅も「琳派祭り」みたいなポスター貼ってるよね。詳細がポスター見てもいまいちわからなかったのだけど…。この展示もそのお祭りの一部なのだろうか。

全然詳しくないのだけど、尾形光琳がつくった重箱があるんだったら本物見に行きたい。大学の授業で見せてもらったNHKの番組で見たやつ。内容あんまり覚えてないけど、すごい考えられたものなんだなって思ったの覚えてる。ただの装飾じゃなくてコンセプトがちゃんとあって、内側のデザインと外側のデザインが繋がってたりするの。重箱が当時どれ位日常で使われてたか知らないから比重がわからないけど、ほんとにアートでプロダクト。美しいなあって思った。

 

昨日ね、企業説明会行ったんです。府がやってるやつ。前の記事に書いてた大学の求人情報を朝に見ることが出来て、その中にコレに参加してますって求人票に書いてる企業があって、自分も興味を持てるものつくってるメーカーだったから。

でもいざ行ってみて、「実は御社の職種をまだ把握していないのですけど」とか「既卒2年目です」とかいちいち言ったのが相手の癪に障ったみたいで、なんか印象悪くしてしまった。どちらも必要な情報だと思ったから言ったのだけど、明らかに他の子とちがう応対されたのが私も釈然としなかった。

バイト遅刻して行った分損したのか、履歴書を出す前にどんな人が上司になるかわかって良かったのか…(・ω・)

履歴書、どうしようかな。
もう出さない方がいいかなー。
その企業のやってること、やれそうなことはとても魅力的なのです。
働きたいと思うかどうか。

(・ω・)

そんなことがあって、バイト中に先方に書類届けるためにウチの会社が入ってるビルのエレベーター乗ってたら、お隣の会社の人と学生ぽい女の子が乗ってきて、その時の会話が
「すごいねえ、学生でもうそこの企業でインターンみたいなことしてるんだ、で、お金も出てるんだねえ」的なね(苦笑)。

書類届けて帰ってきたら同じ人が違う学生を送り届けてて、帰りのエレベーターでまた一緒になったので、「学生のインターンの方達ですか?」って訊いたら「ワークショップしてて、でも内定とれてる子もいてどうすんのみたいな…」という話をしてもらった。もうエレベーター着いてんのに話してくれた。いい人。

でもそうかー。内定とれててもワークショップ来るよね。いいなあ!(笑)

明日は履歴書書こうかなー…

 

やっぱ書きたいことがあっても日が経つと腐っちゃうねー。

上海の人と京都観光したり、CDのジャケットの依頼が来て撮影するところからつくったり、東京事務所の上司と朝まで飲んだり、カンボジアでお世話になった人が来日したりさ。
カンボジアから帰ってきてもう一ヶ月以上過ぎたなーあっという間に時間経つなー」って思ってたけど、案外色んなことが起こっているのですな。


今日も実は思いつきでこちらの申し込みをして来ました。

アートダイブ
http://www.artdive.net/

とこちら

百万遍さん・梅小路公園 手づくり市
http://www.tedukuri-ichi.com/

手づくり市は往復はがきを投函して来ました。こちらは抽選で参加が決まるので、まだ応募しただけ。アートダイブは今日webサイト見てみたら二次募集が掛かってて、その場で申し込んじゃった。
二日開催だけど、両日は余ってなかったから10月25日の土曜日だけ。

いきおいでおうぼしている…(・ω・)


最近ね、てづくり系のものに参加したいなあ、とものつくりたいなあ、とふつふつと思いが込み上げて来まして…(いやCDジャケットつくったばっかりだけど)。
で、ネットで検索してすぐでてきたこの二つに申し込む、と。
百万遍手づくり市は二回ぐらい行ったことがあるけど、他は初めて。初めてがサークル参加かー
もきゃー…(・ω・)

フェイスブックとかに書いた方がお客さん来るのかもしれないけど(ってか知り合い)、どうも踏み切れなくて…。「こんなてづくりイベントなんか参加して、おまえはやっぱりほぼニートフリーターだな」って思われるんんだろうなって、思ってしまうう…。うう。

まあ今この波が来ているのには理由があって。
前から思ってる具体的な作りたいものがあるんだけど、それが出来るかもしれないって、最近ふと気付きまして。でも実現出来たとしてもすぐには無理だろうな、ってことでワクワク感の処理に困っているのです。出来ないかもしれないのに。

で、とりあえずイベントに出てみる。
手づくり系のイベントに出るのは学生の時に経験していて初めてじゃないんだけど、そのモノができて「よし披露」ってときに久し振りにイベント出るのが嫌なんだな。ウォームアップしたい。

 

 

最近、ほんと就職出来ないんじゃないかって思う。
ハローワークで企業を探していないのと、大学のキャリアセンターの手配が悪いのと(笑)、やりたいことをやってお金をつくることができるんじゃないのかって思いが強くなって来てることで、進まない。

まあ就職しても手づくり市とかに出れなくなる訳じゃないから、その疑問は愚問だけどな。
例えば同人活動してる社会人なんて多いんだから。むしろ自分のお金がある社会人が同人活動すべきだから。両立すればよいのだ。

なんか正規で働くことを大げさに捉え過ぎなのかなー。
まあ社長面接で落ちたりしてたらそうなるよなー(苦笑)。

でも自分がそれなりに納得出来るところにさくっと就職して、っていうのが出来ないんだよねえ…。

どうしよ。いい企業ないかなー。既卒二年目を迎えてくれる会社。
既卒になってなにが驚いたって、新卒より求人が減ることだよね(笑)。
当たり前なのかもしれないけれど、よくわかってなかった。
既卒でも中身は新卒だしね。

まあ厳密に言うと今の会社にいるからだいぶ新卒より動ける部分はあると思うけど。


なんかもうジョブパークがやってる企業説明会とかに行った方が良いのだろうか。
デザインの仕事したいけど、正直、例えば今の会社の仕事続けて行きたいかって訊かれたら悩んじゃうんだよね。広告制作会社って善意の第三者を装ってるみたいな仕事だなって、感じること、多くて…。言い方悪いけど、盗品だとわかっていて買い取ってまた客に売る質屋のような。

去年mapつくるときに参考にしてた他物件、今年の始めに欠陥工事が見つかって販売中止になった。
「見たこともないマンション」の、広告をつくるということは、そういうことも起こる。マンションじゃなくても起こる。自社製品じゃない限り、アプローチする商品そのものの信頼って、自分たちは商品から直接はあまり受け取れない。あくまで、制作会社のデザイナーはお客さんが持って来た商品の魅力を引き出すことに徹する。


わかるけどさあ…(´・ω・`)

 

こないだ上司に二つ質問をしたんだよ。朝まで飲んだ時に(笑)。
一つ目は、「一番最後の消費者が遠いことをどう思っているのか」。
二つ目は「見たこともないマンションの広告をつくることをどう思っているのか」。

上司2人に訊いたのだけど、一つ目の一人目は「代理店を驚かす為にやってる」っていうワナにはまったような回答。二人目は、「代理店の人からお客さんの反応を聞くこともあるよ」というもの。
二つ目は「自分は関係ない育毛剤の広告をつくるってこともあるかもしれない。ユーザーを想定してどんなものがいいか考える。たとえばデブでハゲでモテない男の広告つくるとしたら唯一残された”優しい”を売りにするしかない」というもの。

やっぱ返ってくるのは「広告制作会社のデザイナーとして、仕事するにはどうしたらいいのか」みたいな、私の期待とはちょっと逸れたことだった。上に書いた、「制作会社のデザイナーはお客さんが持って来た商品の魅力を引き出すことに徹する」ってことを言われるんだよね。

私のした質問から、私が抱いてしまったような疑問とは違った観点から回答がくる感覚がこの業界のデザイナーのスタンダードなら、やっぱ仕事すんのしんどいのかなって、思う。お勧めどころに超悩む物件の広告つくることとかさ。

 

で、就活も悩むわけです。
もう、ちょっとはスキルがついているから、同じ感じの企業で就活した方がいいんだろうけどね。でももうそれだと上記のお悩みも付いてまわるし、割り切らないといけない。

となるとメーカーに就職するという選択肢が出てくるのだけど、メーカーはグラフィック業界に比べて求人が少ないのと、ほんとにデッサンが出来ないので現役のときもそれで一歩引いてた感がある(実際受けてたのはメーカーがほとんどだけど)。


もうね、
どっかに良い企業ないかなああああですよ。

うーん。


(´・ω・`)


いっそカンボジアで就職とかできたらなんかもう開放感あっていいけど、賃金の関係でむつかしいのです。奨学金が返せない。


まあでも既卒年数が進む程就職しにくくなるし、こんなこと悩むのも今の内かなあ…
したらしたで悩まないし、しないならしないでふっきれて悩まないよね(苦笑)。


明日は朝からバイトです。
ねー(・ω・)

 

 

マレーシア!-半日限り-

おととい、カンボジアを出国しました。日本に帰ってます。
これのアップは日本に着いた次の日です。ねむくてね。

 

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いつの間にかサムライカレーの参加期間は終わっていたのでした!(苦笑)
毎日ブログ書いてる人、ほんとすごいわ…眠くて書けないよね。
書かなかった間、シェムリアップ行ってアンコールワット行ったり、キリングフィールド(チュンエクとトゥールスレン)に行ったり、サムライカレーの存在について説教されたりしました。

今、乗り換えのクアラルンプールの空港でコレ書いてます。19:30着の1:00乗り換え。
フリーwifiが見つけられないので(その辺に飛んでるんだろけど…)アップは帰国後です。
しかし空港の待ち時間てなにをするものなのだろう。
マレーシアはトリが美味しいらしくて、ケンタッキーに来てみたけど、お腹が空かない(ドリンクのみ…)。

 

※結局買いました。チキン自体がスパイシー。そしてテイクアウトだとケチャップとチリソースの小袋も渡される(店内で食べるとセルフバーがある)。聞いた所によると、フィリピンとかインドネシアはごはんがついてくるそうです。まじか。おなかいっぱいだな。


ちょっとサムライカレーの振り返りを。


カンボジアで活躍する人に1ヶ月の間にぎゅっと会えるのはこのプロジェクトの強みの一つだと思うけど、ほんとね、カンボジアで働いてる日本の人って、カンボジア大好きよね。お会いする人、する人、すんごいカンボジア愛してる。多分、好きじゃないとやっていけないのだと思う。

上に書いたお説教というのもカンボジア(おそらく)大好きな人からのもので、中身を書いてみると、

「サムライカレーはビジネスとしてはすごく良い観点。『日本から海外に出てみたくても出れない人にきっかけを与えるということ』のニーズを見いだしたのは目のつけどころがほんとにうまい。でもそれはカンボジアに対して何かをもたらすのか?来ようと思えばカンボジアには来れる。手を差し伸べないとカンボジアにこれないような『草食的な人達』がこの国で何かをできるとは思えない。サムライカレーの内容も学園祭でやるような内容と変わらない。」


まあ、要約すると「おまえら邪魔なんだよ」ってことです。


すごくね、一理あると思う。こんなことをプロジェクトに参加している人間に言っちゃうくらい、この国で働くことは大変なのだ。想いがぶ厚いよね。

そしてほんと意見や考えというものは、何かしら偏ったものしかないのだなあと…。
何が何に影響を与えるかなんて誰にもわからないからね。
手を差し伸べられてやってきた「草食的な」ボクらが、例えばサムライカレーを大きくしてカンボジアの人に雇用を与える場にしたり、接客で言語やコミュ力を磨く場にしたり、店舗を貸しギャラリーにして絵が売れる場にする可能性も存在するわけです。

結局、この人がこういったことを言うのは根本に「カンボジアが好き」っていうのがあるから。


ちょっと考察してみよう…(・ω・)


そうだなあ、壮大な話をすると、人間って適応して繁栄するものだから。足が無くても目が見えなくても「現代で生活するには不便があるところ」が将来適応する可能性があるから殺さない方が、いい。例えば差別がダメってなるのは、多分、それが人間が生き残るために身につけた(身につけていってる)判断なんでしょう。

そして支援する対象がこの人にとってはカンボジアだったのよね。支援されないと大きくなれない国をどうして生かそうとするのか。伸びる可能性があると思っているからカンボジアで働いているし、カンボジアの人達と一緒に仕事しているのよね?(´・ω・`)ちがうかな…

その「伸びる可能性」の有無をどの相手に感じるかは好みな気がする。多分自分に大きな影響を与えてくれたかどうか。この批判をしてくれた人は学生の時にボランティアでカンボジアに来たらしい(そしておそらく、お金払って来たのでは?)。きっとその時なにか響いたのでしょう。これは人を好きになることと同じなんじゃないかなあ。人それぞれ好きになる人、ちがうし。んで、好きになった人を助けたいって思った結果が支援という形になっている。


お、「カンボジアが好き」っていう結論に戻って来た。


この辺で終わろう。考えるの、むつかしい。

 

(´・ω・`)

 

しかし、相手の意見を受け入れられても、それでも考えをぶつけられた時の痛みはハンパない。ボディブロー。
問題なのはただ、その痛みをどう消化するか、ということなのですけどね。
この件だけじゃなくてさ。失敗して怒られる恐怖とだいたい一緒。ほんとどうしたらいいか、知りたい。
ああこういうあたりがいかにも「草食系」なのか。そうじゃない人はこういうのに耐性があるのかな。
ちがう考えが胸にイタい、ってのは「新しく物事をはじめるのが怖い」ってのと同じな気がするんだけど、確かこれって精神疾患であったような…(苦笑)

 

まあ、そういう感じで過ごしていたのでした。
私もカンボジア好きになりました。人が素晴らしいです。みんな優しかった。言葉通じない人も優しかった。
現地の料理がね、美味しいの。しょっちゅう行った3000リエル(75円ぐらい)で朝ご飯食べられるお店とか。最初そこに魅力を感じたのはボラれなかったからなんですけどね。上に書いたことの関連で、日本人がいるコミュニティは避けてたのもあるけど(笑)。最初から3000リエルでご飯食べられた。途中からデザートがつくようになったので、デザートはねられてたっぽいけど。

 

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これがその朝食。ごはんとおかず一品とデザート。おかずは日替わりでいつも三つあって、この日のおかずはウリ系のピクルスの炒め物をチョイス。そしてデザートはおしるこにかんてんを入れたようなもの。

 

で、そこで働くこどもたちがかわいいんだな。これが。多分きょうだい。さんにん。わたし、めろめろ。
学校とかどうしてんのかなって思うけど、その辺は訊けてない(私の英語力が、ない…)。女の子は英語話してたから、行ってると思うんだけど…。
今日、最後だし食べにいって、お菓子をコンビニ袋につめて、あげました。「for me ??(°°)) 」って女の子の驚いた声が忘れらんない。親ってこどもが家のこと手伝って当然って思ってたり、褒めてくれなかったりするだろうし…あんなせっせと頑張ってるんだから、ちょっとご褒美がもらえる日があっても、いいよねえ。

今度行くときはバイトで通訳しにきてくれてた子と一緒に行ってもらおうかな。
お話したい。


(´・ω・`)


…さっき手荷物チェックのとき「take out」の意味が分からんくて後ろに並んでいた方がたまたま日本人で助けて頂いた。「なに?持ち帰り?(・ω・)」って思ったけどそのまま「取り出して」やないか。はずい…。
そしてお礼を言い損ねてしまった。これも恥ずかしい…。ありがとうございました。。

 

(´・ω・`)

 

そう。現地の子とお友達になれるんですよ。英語3%もわかんないのにね。
めっちゃ話してくれるんですよ。言葉通じない人に話しかけてくれるとか、日本人ならあんまりなさそう。
話してくれるのは日本人だからだろうか。

なんかね、最後まで基準がよくわからなかったのだけど、もてるんですよ。
美の基準が日本と明らかにちがう。カフェの店員さんとかに「あなた かわいい」って言われるのです。おじさんが言ってくるなら「はいはい」ってなるけど、女の子にですよ。色が白いとか、メイクの感じとか、日本人に対して好印象だから「かわいい」っていう風にいざなわれるのか。よくわからないけど、町歩いてたらガン見されます。これは珍しいものってのが強いのかな。ちなみにカンボジアの人はイケメンと美女多いです。スタイルいい人も多い。線が細いんだよなー。

今朝ファイスブックのメッセを珍しく自分から送ったぐらい(笑)、みんないい人だった。
そしてみんな返してくれるのよな。すごいわ。また会いたい。

 

 

そしてクアラルンプールから関空への飛行機でお隣の男の子と話してたんだけど、これも英語3%ぐらいしかわからんかった。でも超楽しいの。上海の人でちょっとだけ日本語わかる人だったんだけど、曰く、「漢字があるのは中国と日本だけ、言葉がわからなくてもコミュニケーションがとりやすい国同士だと思う」的なことを言ってて、確かにそうだなーと。まあ漢字っていっても向こうの書く字は超むずいんだけど(ニュアンスがなんとなくわかる)、相手がコッチの字を読めたり書けたりするんだなこれが。すげえよ。で、紙に漢字書きながら英語とちょっと日本語で話す。まあ3%の理解度なんだけど…(・ω・)

 

 

そんな感じのカンボジア生活でした。
やり残したこと、実はそこそこあるんだけど…。とりあえず必須のやつは日本帰ってから送る。
そして日本帰るの結構怖い。おおおおお…

月曜日からまた会社行く生活が始まります。
おひゃー…
ゆめのようだ。。。(・ω・)