メタファーの境界

20代女の日記です。日常の肥溜めの上澄みみたいな感じ。

京都の道案内と優先順位の話

今日長めの道案内をしました。ゲストハウス(店)までの行き方で、声を掛けられた所から徒歩20分ぐらいの所。よくいるwifiがない旅行者だった。店の住所のスクリーンショットを見せてもらったら、どうも駅から反対方向に歩いてしまったらしい。時間があったので、「私もその辺りに行きます」と言ったら細かく住所を見る前に「電話してくれ」と言うので店に電話をかけました。

 

店「事前にGoogleマップにピン打ったの送ってるんですけどまた送ります」

私「いやwifiないんだと思いますよ」

店「え、そうなんですかね?お客様何名の方ですか?」

私「(なんで人数を訊くんだ?)3名ですね」

店「…(沈黙20秒)」

私「あの!〇〇にいるんですけど、●●の近所ですか?」

店「えっと…(沈黙)」

 

wifiない人なんていっぱいいるじゃん、そしてどうして場所の詳細を言わないんだ…!企業秘密か…!?と思いつつ、全然話が進まないので「通話料が気になるんで!スクリーンショット見て調べます!」と言って電話切って連れて行きました。

 

送り届けて15分後ぐらいに店の人から電話がきてて、かけ直したらお礼言われた。店の人は玄関まで出てきたのでその時にもお礼言われたんだけど、その時会った時には呑み込んだ、「私から電話かけることはもうないと思いますけど、今度他の人がかけて来た時は『セブンイレブンの角を曲がって』ぐらいは言った方が親切だと思いますよ」って嫌味を言ってしまった。ちなみに店の人はペラペラ日本語話してたので日本語が不自由な人ではなかった。というか受付が外国の人でもテンプレでそれくらい言えそうな内容なのに…(・ω・)

 

でもこの人見て自分も気を付けようと思った。優先順位が何なのかの判断が出来てないよね。関係ない善意の人が電話かけてきてたら、時間を取るなら電話かけ直すか、「相手が欲しい情報は何か(この場合は道順)」を咄嗟に判断しないといけない。多分沈黙したのはその場で顧客情報の画面を出そうとしたり、メール送ろうとしてたんだろうけど、その時やることじゃないよね。

 

 

案内した人、ロシア語の画面見せてきたから「ロシアから来たのかな?」と思って訊いてみたら、イギリスから来た人だった。到着したらお礼言われてハグして名刺もらった。途中結構遠かったので「ほんとにこの道なの?」って疑われてる感あったけど、無事辿り着けて良かった。私、ジム定休日なの忘れてて行こうとしててすっぴんで、その足で買い物行った帰りで、かつ昨日にんにく食べてた最悪の状態だった…(・ω・)

 

送る途中、困ってる旅行者が他にも普通にいるんだけど、二組も助けられないので無視して歩いたらなんだか罪悪感を覚えた。普段誰も助けてない時に困ってる人見てもそんなに悪いことしてる気分にならないのに。

 

両替機とかで困ってる人は助けないと自分の順番が来ないから、自然と人助けしないといけない場面ちょくちょくあるけど、オリンピックの来年はもっと人助けの年になるんだろうか。みんなブロークンイングリッシュでいいから旅行者助けようねって誰かに言いたい気分になった。やっぱり家を通り越して20分は遠いし。じゃあやるなよって話だけど、断るのも不親切だと思うし、途中で「ここまっすぐで、その後左だよ、じゃ!」みたいなのも今回はやり辛かった。

 


最近見つけたこの団体の「旅行者を少しずつ、バトンリレーのように道案内する。地図に丸するだけでもいい」ってコンセプトは面白いなと思う。ほんとはそれくらいで良いのだ。どちらかというと英語より先に道案内に必要なのは、Googleマップスマートフォンで使いこなす力だ。私の英語だって破滅的だ。

 

あっちこっちプロジェクト
http://atchikochi.org/

 

もし誰かに道案内をバトンタッチできたら、私は最初の大通りまで案内して、まっすぐ家に帰れた。まあ、最後まで案内したからこそハグしたり名刺もらったり、感謝のサイズが大きくなったのはあるけど、バトンタッチ出来た方が健全だと思う。その方が旅行者も色んな人と話せて楽しいよね。

 


困った人2組目がいたあの場所で、大通りに出た時に「じゃ!」ってやったらその後を誰か引き受けてくれただろうか。あと一年で「じゃ!」ってやりやすい土地になるだろうか。多少はそうなってほしいなー私も出来るだけ海外の人助けるからさ。今回はちょっと嫌な思いしたけど、やっぱ気づきもあるしさ。

 

 

気持ちを伝えることを憚らせているものの正体ってなんだろう

記憶違いが混じってるかもしれないけど、20年ちょっと前にディズニーランドに行った。両親からの誕生日のプレゼント旅行だった。キャラクターの家がある「トゥーンタウン」というエリアができたばかりで、私は6歳だった。

 

ミッキーの家の脇には電話のオブジェが置いてあって、受話器を取ったりボタンを押したり自由に触る事が出来た。「あれ触りたい」と両親に言うと「触っといで」と言われたので一人で遊びに行った。先に遊んでる子が一人いて、隣で順番を待ってた。するともう二人男の子がやってきて、遊んでる子を押し退けて私より先に遊び始めた。先に遊んでた子は走って行った。

 

「順番を抜かされてしまったな」と思いながら待ってたら母親がやってきた。私が帰ってくるのが遅いから見に来たらしかった。状況を素早く理解した母親はいつもの私には出せない大きな声で「何してんの、私が先って言いなさい!」と私の手を電話まで引っ張って行った。「一緒に遊ばせてあげて」と男の子に母親が言って、私は無言で電話を触った。全然楽しくなくて、すぐに「もういい」と切り上げた。

 

母親と一緒に父親と姉の所に向かう途中、状況に圧迫されて泣き出した。それを見た父親は「なんで泣いてんの」と驚いていた。母親は今あった事を伝え終わった後「一人で行かすんじゃなかった」と吐き捨てるように言った。父親も母親も悲しそうな顔をした。

 


20年も昔の話だけど、28歳の今その状況になっても多分おんなじ選択を取るんだろうなと思う。これより最適な答えがわからない。

 

私は待ってるのに順番を抜かされるのは嫌だ。でも待たずに遊ぶってのも浅ましくて嫌だ。「待ってたんだから私が先だよ」って言うのも同じく浅ましく感じられる。でも大人しい私が他の子に負けてる状況に苛立つ母親の大きな声も嫌だ。私に楽しんでもらうために連れてきたのに泣いてしまって両親が悲しむのも嫌だ。

 

大人しく待つ事になっても今の自分は泣かないだろうけど、思い通りにならなくて腹が立つところまでは多分一緒だ。他者は自分と同じ感覚ではないのだから、自分の気持ちは言わないといけないのに。

 

 先日までシェアハウスを3ヶ月していたのだけど、同居していた子があまり家事をやらなくて私が一人でこなす場面が多かった。「お皿洗って」とか「お風呂洗って」って言えなかった。伝えるストレスが6で、自分でやるストレスが4ぐらいだった。だから後者を選ぶんだけど、4でもストレスは溜まっていく。家事だけの問題じゃなかったけど、最後の方は同居するのがほんとに嫌になってしまった。

 

6歳の私も28歳の私も、相手の気持ちを慮る事と、自分の主張を我慢する事を一緒くたにしている。それらはイコールではないのに、前者を達成しようとして後者の手段を使っている。これはきっと稚拙だ。でも、自分の気持ちを素直に伝えるのを憚らせているものの正体がよく分からない。

 

それが分かれば私の人間関係における不愉快を少しは取り除けるんだろうな。


もう20年以上ディズニーランドには行っていない。あの電話はまだあるのだろうか。もうすぐ29歳の誕生日がくる。

 

 

死んだ彼氏の話

彼は外国人でコンテンポラリーダンサーだった。実は既婚者で、私たちは不倫の関係だった。彼らは話し合い上で、『離婚』しており、奥さんとは『シェアハウス』している、というのを初対面の時に言われた。「恋愛がしたい」と。奥さんは日本人で、彼は仕事でビザが出ないので日本に滞在するには日本人の配偶者が必要だったし、奥さんは結婚してたら信頼もあるし、外国人の旦那さんがいたらバリューになる、みたいな感じ。奥さんは奥さんで彼氏がいてて、彼氏と奥さんとその彼氏で会ったこともあるらしい。私も彼氏と奥さんで一度食事に行った。ちなみに奥さんもダンサーなのでその点で彼は奥さんと家の外でも付き合いをしていた。妻や友人や同志とか、そんな日本語では表せない関係で奥さんを愛してた彼のことも大好きだった。


彼氏ができたこともほぼ人に話していなかったので、彼氏が死んだこともあまり人には話していない。私の知り合いで詳しく話をしたのは両親と姉、ナースをしている小学校からの友人一人、大学時代の同期一人。あと、彼の職場に乗り込んで情報を共有した。プラス、彼と共同制作していた人と、彼の実家まで行ってテキサスの家族と。これは彼の弟がメモリアルサービスっていう向こうの文化で故人を偲ぶ会みたいなのをやるというのをフェイスブックに書いてて、「私も行って良いですか?」って訊いたら「もちろんおいでよ」と言ってもらえたので行ってきた。英語できないけどグーグル翻訳を嚙まして会話した。彼のお母さんとメールアドレスを交換して、いまメル友みたいになってる。彼の子供の頃の写真とか送ってくれる。すごく可愛くて、幸せそうで、泣ける。


どうしようもないことなんだろうけど、このトピックについて話すと何かしらチクっと刺さることを言われてしまう。予想してたけど父親は結構ひどかった。父親のいとこも自死していて、「俺も経験してるから」ってドヤ顔されたり、新興宗教を信仰しているので「自殺はいけないことだ」という話が始まったり。「話さない方がいいかな」というのももちろん考えたけれど、私の人生におけるとても大きな出来事であることには疑いの余地がなかったので実家まで出向いて話してきた。私たちの間で不倫という感覚はゼロだったけれど、不倫の事実には変わりない。これに対しては責められなかったのでほっとした。


言われてチクっとくるのは「働いてるんだったら気がまぎれるだろ」「結婚してなかったんならまだマシでしょう」「どうしてテキサスまで行くの?向こうの家族が迷惑じゃないの」「彼と奥さんは普通に夫婦だったけど(お前は体だけの関係だろう?)」とか。あと、共同制作者の女性に今度会うのだけど、「彼女の作品の鑑賞をする」というお誘いをもらっていて、ちょっと何だかなあとなっている。多分お金払う形式で、鑑賞というか参加する形。彼氏がこの人に私たちの関係をどう話していたかはわからないのだけど、マウンティングされているような気がしてしまう。


彼が私にこの人との作品作りのことを嬉しそうに話すので、彼が彼女を信頼しているのはとてもよくわかっていた。だからどうしても接触したくて、彼と彼女の作品を所持してるアート系の施設まで行ってデータもらいに行って、そこで彼女の連絡先を手に入れた。それでコンタクトを取ることができた。ウィキペディアの項目があるような方なので、私みたいな一般人が会いたいって言ってくることに対して警戒されているのだろうか。


私は彼の死を共有できる人が欲しかった。彼の話をすることで会いたい気持ちを少しでも埋めようとしていた。彼の職場に乗り込んだのも、テキサスに行ったのも、アート系の施設まで行ったのも。でも、彼と私の親密具合を知っているのは彼と私だけだ。他の人から見たら私が悲しんでいるところは奇妙に映るんだろう。そもそも彼女かどうかも怪しい女な訳だし。彼は白人で4ヶ国語話せて仕事ができてワールドワイドに活躍するダンサーで世界各国に友人がいる。そんな彼が仲よさそうに見える奥さんをほっぽってこのブスな一般人と付き合ってる訳ないだろ、みたいな見方の方が自然だ。


もうすぐ共同制作者の人との約束の日がやってくる。それに向けて1000ページぐらいの長い小説を読んでて、気が滅入る。参加する前から「また嫌なこと言われるんだろうな」って思ってるけど、ここで引くのは何か違う気がする。彼に会いたい。

 

 

 

彼氏が死んだ

去年の12月に彼氏が亡くなりました。
ちなみに前書いたTinderの記事で出てきてた方ではなく、
一つ前の記事に出てきた「こないだ一緒にご飯食べた人」です。
亡くなったのは2週間くらい前の話なのだけど、自分の中で感情がぐるぐる変わっていくので、変化の記録をちょっとつけておこうと思います。


第一報は警察からの電話。どうも携帯は押収されて調べられるみたいで、最後の発信履歴が私の番号で電話をかけてきたらしい。「彼が自宅で亡くなった」という内容を伝えられ、私の住所や生年月日、彼との関係、勤め先などを訊かれました。


13時に警察で面会ができて。
その日の17時から彼と会う約束を前々日に電話でしていて、
引く話だけど、実感がなくて彼の顔を見れたことが嬉しかった。
でも事実が公然と目の前にあって、否定のしようがなかった。
警察の人の前だと面識のない人のせいかわんわん泣けた。


その日から3日間ぐらいは仕事中も泣けて仕方がなかった。
いま上司が妊娠初期で一人で店を回す日が多くて、お客さんもそんなに入ってこないし、有難かった。


面会の翌日の仕事中、一瞬彼の匂いがした気がして、その後もクレジットの暗証番号打つ機器が動かなくなったり、トイレのドアが内側からなぜか閉まったりして、「これは彼が来ているのでは」と思ってひたすら彼に話しかけながら仕事した。伝えたいことがたくさんあったし、伝わっている気がした。会話できているような楽しさと、もう会話できない悲しさが同居していた。彼と話していない時は「防げたんじゃないのか」って後悔と反省と、自分のレベルの低さに辟易した。


そして葬儀まで数日あったので、ありったけの想いを手紙に書いて棺に入れられた。


ここ数日、悲しみが収まってきた後の変化は、死ぬのが怖くなくなったこと。
「死んだら彼に会える」みたいな楽しみができた。


私は死んでないけど、大きな区切りがこないだ終わって、これからの人生は長めのボーナストラックのような、そんな感じ。ちょっと前まで「これからどうやって生きていったらいいんだ…」みたいな悩みがあったはずなんだけど、「生きていなければ」みたいな執着が薄れてなんだか楽観的になった。やりたいことをやって終わっていったらいいんだ、という気持ちになっていってる。


私は今27歳なので、大体あと60年ぐらい人生があるとする。
60年って1年が60回。最近どんどん自分の中で1年が短くなってるし、これからどんどん短くなると思う。つまり、1年×60回ってそんな長くないんじゃん?(・ω・)みたいな気持ちになってきている。母方の祖母は58歳で亡くなったし、そしたらあと約30回だ。


私の周りの人たちも親しい人間が死んだ経験がある人は多いと思いので、みんなボーナストラックを生きているのか、と思うと世の中はそんなに重たくないような気がして楽になる。


でもこんなに「死の受容」みたいなものが進んでいるような感じなのに、寝て起きた直後なんかにふと、彼の今後がもう見られないこと、これから自分がやることに彼の存在がないこと、今生ではもう彼に会えないことに絶望感を覚える。会いたい気持ちが溜まってきて、普段牛乳石鹸で済ませるのに、彼が使ってたLUSHのソープとか買ってみたりしてる。最後に会った12月のある日にほむらちゃんみたいに戻りたくなる。


もう彼のような人には会えないんだろうな、と思う気持ちも強くある。
私が彼のことを好きな気持ちより、彼が私のことを好きな気持ちの方が上だった。日本語が話せる外国人でアートとか表現の会話が面白い人で、そういう会話の度、文化水準で勝てないことを思い知らされて、誰も指摘しない豊かなことを教えてくれた。ストイックで作品のために断食したり、優しくて私のこと何も悪く言わない、そんな人だった。


次に付き合う人はこのハードルを越えないと面白くないんだろうな、と漠然と思う。
バーを上げ過ぎてしまった。これがボーナストラックなのか…(・ω・)走れるんだろうか。
上に書いたように走らなくても歩けばいいんだけどさ。

 

そんな矛盾した感想を抱いた今回の件でした。
ちなみにTinderで知り合いました。Tinderさまさまです。笑
ラストはこんなだったけど、去年はほんとうに豊かな一年だった。初めての彼氏だった。
今年は最後の最後まで素晴らしい一年にしたい。

 

 

 

東京に興味がある

いま東京に来ています。こっちにある雑貨屋さんが私がつくってるポストカードを置いてくれることになって、挨拶にきました。結構大きなスペースで置いてくれてた。ありがたや…(・ω・)


さっきgooglemapで距離検索してたら、東京は所要時間にUberが表示されるんですね。すごい。外国にしかいないイメージだった。そうか…(・ω・)


標題の件ですが、前の職場にいるとき位から東京に興味が出てきました。就活してるときは働く所はどこでもいいと思っていて、北海道の求人に応募したりしてました(お祈りの文言に「わざわざ京都からありがとうございます」って書かれたりする…)。


ほんとは今の仕事辞めて東京で仕事探してもいいんだろうけど、上京するタイミングを逃してしまった感じがしてる。


というのはここ一年簡単な仕事もミスが多発していて「そもそも私は仕事をこなすことが出来ないんじゃないのか?」ってところから動けないでいるから。


前の会社で人間関係でイライラすることがあって仕事辞めたときから「どこかに雇われてお給料もらうっていうのが自分は出来ないんじゃないのか」って思い始めた。お客さんとか上司に従順に働くことがむつかしい。人間関係の悩みなんてどこの職場にいってもついて回るのにね。


でも前の職場では仕事はこなせてた。仕事はこなせるけど、アトピーが酷くなって医者代を払ったり、物に当たってiPhone投げて壊したりしていた。賃金を得るために身体壊したりお金払ってて、やっぱりそれは本末転倒だと思う。


でも今の職場で緊張の糸が緩みまくった状態だと仕事が出来ない。その代わり身体を壊さないし医者代と修理代はない。


仕事できないのは例えばメンタル的な問題から来ていて、投薬とかで治療できるものなのかな?と思って色々調べてみたけど、あまり期待できなさそう。


実は前々職のときに仕事が難しくて出来なくて、発達障害持ってんのかな、と思って心療内科で検査したことがある。診断は出なかった。今回も地域のサービスを利用してお医者さんに診てもらったけど、症状を話したら別に病院を受診する程でもないという旨の回答だった(「友達に相談してみたら」と言われた。友達て…(・ω・))。


「メンタルがやられてて正常ではない」という線がないのなら、仕事出来ない今の状態が本来の自分なのでは?(・ω・)とやはり考える。


先月今の職場で働き始めて1年経って、あまり働けてない状況は変わってないなーと感じてる。こないだも店の鍵を閉め忘れてしまってセコムの人が来てしまい、社長に謝りに行った。お客さんに対しての請求額もたまに間違えてる。働いてない方が店の損失がないんじゃ?(・ω・)としばしば思う。


自分ってこんなに色んなことが出来なかったんだなーって思う。そして前も書いたけど、欲求のピラミッドの下から2番目の安全欲求がまだ埋まってないような感じに繋がってる。


作品をたまにつくってるのは制作が楽しいのもあるけど、やっぱ経済に繋がったらいいなって思っているから。でもやる気がそこまでではないから積極的につくったり売り込んだりしてない。


もっと言うと、ほんとは作品じゃなくてもいいんだなーと最近気づいた。ピラミッドの下から2番目が埋められるなら多分、作品制作でなくてもよい。でもそんなものあるんだろうか。

 

 

(・ω・)

 


東京に興味があるのは人口が多い経済の中心だから、もしかしたら私がつくってる作品にもニッチなニーズがあるかも、とか、作品制作でなくとも安全欲求を埋める方法の糸口があるんじゃないかと思っているから(夢想だけど)。


いまマクドナルドでこの文打ってるのだけど、さっき床に足をバンバンやってる子供がお母さんに「静かにしなさい、仕事してる人もいるんだから」って注意されてて驚いた。京都でそんな表現を聞くことができるだろうか…(・ω・)いやノマドしてる人はいるけど、そこまで浸透してるだろうか。あとこの店電源も多い。渋谷とか新宿じゃないのに…(・ω・)

 

そんな感じで地方から出てくるとUberとかマクドナルドでも文明とか経済とか文化の差を感じる。とても興味深い。


今回の東京旅行の目的は挨拶と、もう一つあって貸しギャラリーを探すこと。東京で個展でもしてみようかなーと思ってまわってみることにしました。京都で個展やってる訳でもないのにね。笑

 

 


(・ω・)

 

 


最近、周りの人間が結婚し始めて「みんなすごいなー」と感心する。働くとか結婚するとか、どうして「一般にそうするべき」みたいにされてることこなしたり、こなそうと思えるのだろう。


とか思っていたら、先日田舎で染物をしながら生活している78歳の独身の女性に会う機会がありました。まるで今の私のロールモデルのようだった。その方も私が自分に似ているように見えたのか「やりたい事も大事だけど、子孫残しなよ、すぐおばあちゃんになるから」と諭されたりした。「一般のそれ」をしなかった人の言葉は重かった。


「一般のそれ」をしなくても自分が一番いいと思う事を貫けるのはほんとに尊いんだけどね。なかなか素直に思えないよね。そんなところだけ社会性があるのね。笑 他者に認められたい欲求というより、自分との折り合いの問題なんだろうな。

 

 

 


こないだ一緒にご飯食べた人が「普通に生きれたらいいけど、出来ないから」って言ってた。

 

 

 

みんな勉強したりパソコン持ち込んで作業してる。えらいなー(・ω・)私は宿に帰るよ。

 

 

「この世界の片隅に」のトークショーと表現の意図するところ。

映画の具体的なネタバレは大してしていません。


映画の「この世界の片隅に」観に行きました。原作は読んでいないのですがすごくよかったです。
1月の終わりに監督さんのトークショーもあったので行ってきました。

これです。
http://risseicinema.com/archives/19652
ちなみに立誠小学校っていう、閉校になった小学校が会場です。すごく寒い。

 

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当日の朝の様子。整理券待ち。

 

トークショーですが、個人的には正直ちょっと期待はずれでした。
内容は作品をアニメーションにするにあたり気をつけたこと(話しているキャラクターとカメラワークの関係とか)、徹底して時代背景を調査し反映させて描いたということ(あるシーンで汽車の窓を閉めたのは何故か?その裏話)とか。とにかく「戦時中の日本(呉市周辺)はどんな感じだったのか」って内容が大きかった。それはそれで興味深かったのですが、私が聞きたかった主人公の心象表現とか作品のコンセプトについては言及がありませんでした。
まあでもその辺は原作者の人が温めてることなんだなと思って納得。

 

トークショーが終わった後に感想をツイートしたら、珍しくリツイートが何件か来ました。
ツイートしたのが反戦の内容っぽかったので当たり前なのかもしれないけど、リツイートした方々の中に日本大好きな人たちが何人かいてて、そういう人たちの主張に私のツイートが紛れることが自分の中で「なんかちがうな」となったのでした。

 


表現は表現者の意図したように相手に届くわけではないのは当たり前で、今まで自分が何かつくったとき、自分の思っていることと違うことが鑑賞者の感想でも「それはそれでいい」どころか、それが表現の醍醐味のように思ってた。けど、今回は初めてそのズレが気持ち悪かった。画塾の先生も教授も「いかに自分が思っていることを伝えることが重要か」って話をしてたけど、初めて「結構大事だな」と思った気がする。


気持ち悪かったのは多分、社会的な主張だから。
個人的な内容で作品つくってる時はどう捉えてもらってもただの個人差だったけど、社会的な主張が絡むと「ちがう」って言いたくなるんだな。先生たちの言ってたこと、当時は古臭いなーってちょっとバカにしてた。見直した。

 

 

(・ω・)

 

 

私が「この世界の片隅に」のトークショーまで観に行った理由は、戦争物なのに「戦争の悲惨さ」に主題を置かず、もっと普遍的な「生きていく事の無情さ」みたいなものをテーマにしていると感じたからです。

 

こないだ「桐島、部活やめるってよ」って映画観たけど、テーマにしている事はあの映画と近いと思った。アイデンティティにまつわる話。「この世界の片隅に」は戦争をそのテーマの材料にしているのが新鮮で興味深かった。

 

でもこれも、監督からそういったことの言及がないあたり、私の曲解かもしれないんだよな。
私も自分の都合の良いように表現を受け止めているのかもしれない。

 

(・ω・)


まだ原作を読んでいないので読んだら感想が変わるかもしれないね。

 


私の受け止め方は曲解かもしれないけど、「この世界の片隅に」すごく良かった。十分話題だけどおすすめ。
こうやっておすすめする行為はまるで私をリツイートした人たちのロールプレイだな。笑

 

みんなあの作品観てどんな感想を持つんだろ。
やはり「戦争はよくない」なのかしらね(・ω・)

 

 

Tinderと恋愛と外見、自立と依存の話

ここ最近Tinderという出会い系のアプリを使って人に会いました。

説明しなくても有名かな。これです。

 

Tinder

Tinder

  • Tinder Inc.
  • ライフスタイル
  • 無料

 

簡単にどんなものか書くと、登録している人たちの写真がご近所にいる人からカードみたいに出てきて、右にスワイプでライク、左にスワイプでノウプ、といった感じで選別していき、お互いにライクになったら「マッチしました!」って表示が出てチャットが出来るようになる、というシステム。facebookと連動していて、以前はfecebookに載っけてる画像しか載せられなかったり(これ書いてる今はTinderからのみのアップもできる)、お互いにライクしない限りコンタクトが取れない点がすっきりしていてよかった。

 


このアプリを落としたのは2年ちょっと前。きっかけはUIデザインが秀逸なアプリをまとめた記事で紹介されていたから。何となく落としてよくわからなかった時に右にスワイプさせてしまい、たまたまチャットしたフランスの方と仲良くなったり、その方がこの前結婚したことをfacebookが教えてくれたりして(Tinderのチャット後にFacebookでつながったため)、随分使ってなかったけど、また興味が出てきて使うようになった。

 


2年前はなかったのだけど、いつの間にか「スーパーライク」という機能が出来てて、マッチしなくてもこれを使えば一方的に「この人があなたのことをスーパーライクしました!」って通知が来る。たまにスーパーライクを飛ばしてくれる人がいるので、その人たちにライクを飛ばして、チャットする、ってことを何回かやった。何往復かTinderでチャットしたら大体「LINEしませんか」って訊かれて、そっちに移行するのがお決まりのパターン。

 

 


(・ω・)

 

 


先日、Tinderを始めて以来初めて「会いませんか」という提案をもらった。飲みに行きましょうでもお茶でもなく、山奥コースのドライブを提案されて、「分かりやすいなー(・ω・)」と思いながらも相手の仕事の話は興味深かったし、「いいですよ」と返して会ってきた。

 

 

相手が仕事終わりに駅前に車で拾いに来てくれて、挨拶して30分でキスされた。ずっと車中で相手がセックスの話ばかりしていて、山奥の落ち着いたところで降りて川眺めてハグしてキスして手をつないで、大体30分。関係をつくるまでの工程がこんなに効率的にこなせるものなのだな、こういった恋愛マニュアルでもあるのだろうか、と思った。流れるように雰囲気を構築していく様が清々しかった。

 


別れる時にもう一度キスされて名残惜しそうにされたけど、駅前でバイバイしてきた。別れ際にとても切ない表情を見せられてしまって、やれなくて期待はずれだっただろうな、時間を割かせてしまって申し訳なかったな、とちょっと罪悪感が残った。「全然ドキドキしてないやろ」と言い当てられたり相手のこともよく分かってて、すごく手練れた人だった。と思う。

 

 

というのは私は26歳にしてそういう経験がゼロという、もうすぐ魔法が使えそうな女で、そういう恋愛の云々がよく分からないから(上に書いたのはファーストキスだった、笑)。学生の頃は好きな人ができたりしたけど、社会人になってからまともに人を好きになることがなくて、相手に好きになってもらっても私は好きになれなくて断ったりしていた。

 


相手はセフレとか、ワンナイトの関係が欲しかったのだろうけど、この山奥ドライブの人がきっかけで自分の恋愛に対する見方をちょっと見直した。
コミュニケーションの大きな部分を欠いでこの年齢まで来てしまったのかな、経験積まないといけないな、という意識が生まれたというか…。
うまく言えないけど、なんというか、20代後半にもなって就業経験がないみたいな気分になった。いや20代後半でニートでもいいと思うんだけど、というかちょっと前まで自分ニートだったし。
とにかく人として大事なものを落としてきてしまった気分になった。

 

 


(・ω・)

 

 


Tinderをしていていつも気になるのは「写真ください」って言われること。
と言ってもプロフィール画像に顔を分かりづらく加工した白黒写真一枚しか載せてないので(このブログのプロフィール画像みたいなやつね)、欲しくなる理由はよくわかる。それでもスーパーライクしてくる人がいるのは、そのデザイン加工からお洒落な感じを相手が想像するかららしい。みんなメディアのイメージに漬け込まれてるよ、例えばかわいい系のビジュアルで売ってるアイドルの画像を作ってるのは周りのおじさんで、本人がつくってるわけではないよ、どちらかというと私はおじさんの方だよとか思いつつ、Facebookプロフィール画像だから意図はなかったけど、結果的に顔が好みだからライクするって人は跳ねることができた。

 

 

顔じゃない部分でライクをもらってもチャットしてると流れで「写真ください」って毎回言われるので、「やはり見た目が知りたいのだなー(・ω・)」と思いつつ、最初の頃はその会話になったところでブッチしてしまっていた。お互い趣味の話や仕事の話をして、楽しいのに、どうして顔がいるんだろう…(・ω・)と虚しくなってしまっていた。言ってこなかった人が二人いたけど、一人は糖質制限してダイエットに励んでる人で、自分の見た目に自信がないらしかった。

 

 


外見の話を少しすると、私は自分の見た目がコンプレックスでは特にないけど、世間的に見て可愛い人間じゃないことは自覚がある。私は母親と顔が全然似てないのだけど、母親は可愛らしい人で、親子で並んでるとたまに比較してくる人がいる。店員さんに、「あの方がお母さん?かわいい!全然似てないですね!」とか(笑)、ナチュラルに傷付くことを言われたこともある。私も母親も自分達が似てないことはよく分かってたし、特に母親も私に対してそのことで気にするなとかも言わなかった。それを言ったら自分に似てないことが悪いことだと認めてしまうからだと思う。


メイクの有無含む外見に関して言うと、前の職場にいるとき、アトピーが本当にひどくてノンメイクで仕事していた時期がある。すると私を見てあからさまに「まじかよ」って顔に出るお客さん、結構いた。そんなもんだろうなとは思う。

 

顔が薄いのでメイクをすると化け物のように顔が変わるのだけど、この頃アトピーがやっとましになって、パーマかけてフルメイクとコンタクトレンズの着用を復活させた。そしたら職場で運送屋のお兄さんに「雰囲気変わりましたね」ってニコニコしながら言われた。普段は無愛想な感じの人なので一瞬誰か分からなかった。でもこれもそんなもんなんだろうなと思う。嬉しいけど、ちょっぴりげんなりもする。ほんとはアトピーじゃなくてもノンメイクでいいと思うし、黒髪眼鏡も金髪巻き髪も両方やったしこれからもそうでありたいとも思う。他人の評価に自分の気分を巻き込まれないようにすればいいだけなのだけど、それはむつかしいことだなとも思う。

”趣味の話や仕事の話”と同列で外見の話ができないのはやはり外見がコンプレックスだからだろうか。
話題のコンテンツとして別格に感じてしまう。なんでだろうね。

 

 


(・ω・)

 

 


制作会社にいる頃は22時以降もよく会社にいたのだけど、時間が遅くなってくると上司からの電話で「今彼氏いるの?」「好きな人は?」みたいな会話が増えてくる(まあセクハラになるんだろうけど…)。その経験があったので男性は疲れてくるとエロくなってくるイメージがあった。今見たデータにその場で指示を出して、バリバリ仕事を捌いていく上司を知っているので、そうじゃない側面を見ても嫌な感情はなかった。山奥ドライブの人も沢山仕事をこなしてきた後なのだろうなと思った。疲れてたのにエッチできなくて申し訳ない、びびってしまった。

 


別れ際の顔が心に引っかかって、バイバイした後にもう一度LINEを送ったら、その時は反応が良かったけど返ってこなくなりました。Tinderのアカウント自体が消えていたのできっといい人が見つかったんだろうなと思う。想像していたよりも真面目だった。ああいう人が沢山いて、世の中を支えてくれているのだな、私みたいな社会に適応してなくて生産性が低い人間はそういった人たちにのっかって生きている面がいっぱいあるのだろうな、と思う。

 

 

山奥ドライブの人のことがあって、ふと「どうして魔法が使えそうなくらい恋愛に興味がなくなっているんだろうな」と思い始めた。

 

そしたら、もしかしたら私は生きていくにあたり「このままでは死んでしまうのではないか」というおそれが心の底にずっとあって、その欲求が満たせていないから恋愛まで手が届かないのかなと行き当たった。

 

実際は一人暮らしをして、今はアルバイトしてお金を稼いで自分を賄うことができているけど、マズローのピラミッドでいうところの下から二番目あたりが気持ちの面では満たせていないのではないのか。別にしなくても方法はあるのに、大学への進学とか、正社員になるために就職活動を頑張ったのもそこにずっと起因しているのではないだろうか。死なないためにお金を稼げるようになりたいけど、上手いこといかなくてボトムが安定しないからずっと不安定で、上の欲求まで手が回らなくて優先欲求がずっと低い位置にあるのではないか、恋愛は私の中でお金と直結していないから捗らないのだろうか…(・ω・)

 

「死なない」って安心感ってどこで得られるのだろう。私は実家を当てにしていないし、親子関係のことも関わりがあるんだろうな。心の拠り所のようなものが自分の根にないと恋愛まで気が回らないのだろうか。

 

 


(・ω・)

 

 


最近ネットで見たもので「自立」と「依存」ってのがある。
この二つは反対であるようでそうでもないらしい。自立は依存によって成り立つ。
障害者教育の現場ではよく言われるようで、そういえば教職の実習で支援学校に行った時も「障害者にとっての自立とは何か」というテーマを実習最後のレポート課題に出された。

 


私が当たったクラスは重度障害のクラスで、みんな車椅子で食事も介助がないと摂れないし、言葉で意思の疎通をすることも出来なかった。正直彼らに対して最初は宇宙人みたいな感覚を持っていたけど、接しているとそうでもなくて、食べたくなさそうな給食のおかずがあることや、プレイルームでゴムボールに埋もれると驚いていることがわかったりした。当たり前だけど、意思疎通しづらいだけで意思はあるのだなと思った。

 


そんな彼らにとっての自立とはなにか。それまで自立って自力でご飯食べて掃除したり生活のあれこれを一人でこなして生計を立てていくとこだと思っていたけど、彼らはそれが出来ない。でも自立はあるって言われたら誰かに助けてもらうしかない。

 


実習当時は自立=依存であるってところには辿り着けなかった。自立することが障害者支援の目標であるからそういうテーマを設けてくるのかなと思ったので、私の人生のアバウトな目標の「豊かになること」を重ね合わせて、自立することは豊かになること、豊かになることは自立するということなのではないかって仮説を立てて、彼らにとっての豊かさとはなんなのかって視点で確かレポートは書いた。「機会があれば私の染織作品を観てほしい」っていう、彼らにアートの体験を提供するって内容だったと思う。


このときは依存という言葉を意識しなかったけど、アートの提供をするってのも他者によって豊かになる、自立するということなのだな。私も山奥ドライブの人や実習で相手をしてくれた彼らに刺激をもらったから、こうやって文章を書いて物事の考えを広げて豊かになろうと試みている。私も他人に依存して自立をはかろうとしているのだな…(・ω・)

 

 

豊かさの結果、上に書いた「死なない」も生まれるのだと思う。際限がないから、IQがいくつ以下とか身体機能の制限があるとかで具体的な他者の支援を受けられるかどうかは線引きをして領域をつくっているけど、本来はその境界は曖昧なものだ。依存しないと欲求が満たせない点で実習で会った彼らも私も一緒なのだな。

 


恋愛したら相手がいるから拠り所が増えるってことになる。生存もしやすくなるってことになる。
というか恋愛なんてジャンルで分けなくても、単純に人とつながった方が生きていきやすいよってことになるんだけど…(・ω・)

 

でもこのこと、進学や就職で日銭を稼ぐようになる以外にも生存する方法があることをこんなに噛み砕いて理解しても「じゃあ人と積極的につながろう!」って気持ちがそんなにアクティブにならないんだよな。どうしたもんだろうか。生命力の差かな。笑

 

 


(・ω・)

 

 


山奥ドライブの人のことがあって一ヶ月経った頃、またスーパーライクが飛んできた。その人とはLINEで仕事の話で盛り上がって、しばらく話してても「写真ください」って言ってこなかった。

 

私とはコミュニティの差異があるせいか、会話してると相手が知らない言葉が出てくるようで、話してて面白いらしい。逆も然りで興味がわいて、私から会いませんかって誘った。山奥ドライブの人とは違ってワンナイトの関係を求めてるような人ではなかった。


でも山奥ドライブの人のスピード感覚が残っていたので、私はそういうのを求めてくるだろうと予想していたのと、仕事の後に来てくれたので積極的に自分からそういう話をした。「どうしてそんなこと訊くの?」と相手には困惑された。


会って1日目でふざけて「付き合う?」って聞いたら「いや段階があるでしょ」って即答は避けられた。私よりよっぽど常識がある人だった。後から一人で恥ずかしくなった。彼曰く私は変わり者らしい。

 

それから一回で終わらずまた会ったり、もっと定期的に会いませんかって話になって、スケジュール確認し合って日を決めたりしている。それがまるで仕事みたいで、細分化してタスク管理をはかるように、「人との繋がりもひとつずつこなすことで成り立つものなんだな…(・ω・)」と今まで友達同士で沢山やってたはずなのに何故か改めてそんなことを感じている。

 

 


生命力は乏しいけど、多少は人とつながることに対してアクティブになれてるだろうか。久しぶりに作品つくって展示とかしたい気分。私の感じた豊かさが、誰かに循環されたら面白いだろうな。

 

 

話題があっちこっち飛んだ(・ω・)